2024年3月5日 東北大学 混合合唱部の学生による広報誌「まなびの社」取材
2013年に小田さんが作詞・作曲した『緑の丘』は、自らの出身校である東北大学のために書き下ろした一曲。東日本大震災に心を傷め、自らの活動にも葛藤や模索を続けていた小田さんにとって、思い出深い一曲になりました。今年の3月、小田さんもかつて所属していた東北大学学友会混声合唱部のメンバーが小田さんのもとを訪れ、校友歌「緑の丘」についてのインタビューを行いました。
──今回、小田さんへのインタビューに至った経緯を教えてください。
東北大学広報室・関:
私たち東北大学では、多くの方々に東北大学の研究や教育、学生の活動などを理解していただけるよう『まなびの杜』というウェブマガジンを発行しています。その新しい記事を何にしようかと話している中で、「小田さんから『緑の丘』を寄贈いただいてちょうど10年になるね」と話題に挙がりました。この10年間、学生たちが本当に大切に歌い継いでいたので、そのことを小田さんにもお伝えできたら嬉しいな、と思ったんです。
関:
2012年に、当時の東北大学総長だった里見 進先生が小田さんにお手紙を書いて、「東日本大震災の復旧と復興に頑張っている東北大学の同窓生、在学生、教職員たちを元気づけたい、応援したいのでぜひお願いできないか」と校友歌制作のご依頼をしたんです。そしてその後、2013年の5月頃に小田さんから里見先生に「曲ができました」というご連絡をいただきました。
──初めて合唱をお披露目したのはいつだったのでしょうか?
松野:
初お披露目は、2013年10月のホームカミングデーです。同年11月に開催された大学祭特別イベント「校友歌を歌おう会」に小田さんが登壇されることになり事前に告知したところ、学生だけでなく、教職員、一般の方も含め1,000人もの来場者が川内キャンパスの特設ステージに詰めかけ、大盛況だったんですよ。
──小田さんにいちばん聞いてみたいことは何でしたか?
西川:
やはりシンガーソングライターを代表するような方ですので、音楽に対する向き合い方や感覚についてのお話を聞いてみたいと思いました。音楽の世界で大きな評価を受けている方が、音楽に対してどういう観点を持っているのか、どういう向き合い方をしているのか、ぜひ訊いてみたかったです。
──混声合唱部の方々にとって、この『緑の丘』はどのような存在なのでしょう。
西川:
私が1年前に入部してからずっと練習してきた歌で、「持ち歌」と言うとおかしな表現かもしれないけれど、それぐらい大切で、得意としている歌です。ずっと親しんできましたし、楽譜も全部覚えています。
──『緑の丘』がほかの歌と比べて個性的だなと思うのはどういう点ですか?
田中:
他の合唱曲は、抽象的でよくわからない歌詞や私たちの世界から遠く離れたものについての歌も多いんですね。でもこの歌は、「広瀬川」「川内」「青葉山」など、すぐそこにあるもの、身近なものが歌詞の中に織り交ぜられていて、情景が鮮やかに目に浮かびます。ちょっとポップスっぽい曲調もあって面白いなと思うし、親しみがわくとても好きな曲です。
──歌うのは難しいですか?
田中:
私は、はじめは歌いづらかったんです。ずっと合唱をやってきたから、合唱曲だという気持ちで歌おうとすると、この曲の持ち味であるポップスらしい感じの良さを損なってしまう感じがするんですよ。だからといってポップスのつもりで歌うと、それもそれで私たちのアイデンティティみたいなのとちょっとぶつかっちゃう。工夫がいる曲だなとは思います。今では何度も歌ってるから、だいぶこの曲との付き合い方とかもわかってきた感じです。
──なるほど。それこそインタビューの時に小田さんがおっしゃっていた「普通にそのまま合唱曲でもつまらないし、あまりにも僕っぽくてもつまらない」という言葉を体現するものですね。先ほど西川さんが「持ち歌」という表現をされましたが、現サークルの中ではどういう位置付けにある曲ですか?
本堂:
合唱部には団歌というものがあり、『緑の丘』はサークルの歌ではないんです。でも、今ではどの歌よりも『緑の丘』を誇らしく歌っていると思います。東北大生みんなにとっても「自分たちの歌だ」という気持ちが強いと思うし、今どこかの舞台で東北大の歌として歌うなら、やっぱり『緑の丘』かなと思います。そういった歌だということを自覚して、歌わせていただいています。
★──定期演奏会でも必ず歌うとおっしゃっていましたけれども、プログラムを考える上でどの辺に位置づけよう、などといった考えはありますか?
田中:
昨年や一昨年で言いますと、定期演奏会が始まってオープニングがあって、その後すぐ、最初に歌う歌にしていましたね。合唱を聞き慣れていない人でも、合唱という世界に入るための入り口みたいな意味合いで。
──インタビュー当日のことに移りますが、皆さん、最初はとても緊張されていましたね。
本堂:
もう、いっぱいいっぱいでした。当日になったら、想像以上に緊張してきたんですよ。準備万端とまでは言わずともそれなりに準備したぞ、という実感はあったのですが、自分で「大丈夫なのか」と思うほど緊張しました。
──小田さんの第一印象はどうでしたか?
本堂:
第一印象は、とにかく圧倒されちゃう感じでした。今回のインタビューが決まってから、小田さんのライブ映像を見返したんですが、そのテレビ越しに見て感動したあの方が目の前にいる!と思って…。
寄田:
僕は、大物アーティストだと意識していながらも、不思議な親近感が湧きました。東北大学在学中の思い出などを昨日のことのように話してくれて、とても親切で面白い方だな、と感じました。
田中:
お会いする前は近寄りがたい方だったらどうしようと思っていたのですが、そういう方では全くなくて。かといって、私たちの身近にいる大人とも全然違っていて、何だかすごく不思議な感覚になりました。
西川:
本堂委員長と同じように、自分もすごく緊張していたんですけど、小田さんがずっと私たちの話を待っていて聞いてくれるから、緊張は解けないけれど伝えたいことや訊きたいことを口にできたかな、と思います。なんかもう、すごい人なんだなっていう憧れを感じました。私が合唱団内で担当している渉外という業務があるのですが、小田さんが在籍していた当時の渉外担当だったご友人のお話をしてくださったんですね。何ならちょっといじってるというか、「あいつは留年したんだよ」なんてからかいながら。ああ、小田さんもこういう風に昔の仲間の話をするんだなと親しみを覚えて、嬉しかったです。
──一番印象に残ったのはどんなお話でしたか?
田中:
私は指揮者だから、やっぱり音楽に関する話が一番印象に残っています。「“仙台は ふるさとに なって行く”という歌詞が気に入って、それまでのメロディを考えるとちょっとそこは不自然になるけど、アクセントを入れたんだ」とおっしゃっていて。私、もともとそこが難しいと思っていたところだったので、「なるほど!」と。それから、歌い方というか、歌詞の見方がだいぶ変わりましたね。
──「仙台は ふるさとになって行く」というフレーズ、インタビュー中に小田さんも何度も歌ってらっしゃいましたもんね。寄田さんはいかがですか?
寄田:
歌詞の中に、「なだらかな 坂道を上れば 川内」というフレーズがあるのですが、私はなだらかだと思っていないんです(笑)。急だなあ、と。当時の小田さんの記憶にある坂道と今の坂道が同じかどうかはわからないですけど、「白い教室」の話も、キャンパスの風景が年を経て変わっている。だから、小田さんが見ていた風景を私も見てみたいな、と思いました。
本堂:
やっぱり「仙台は~」というフレーズが好きだ、とおっしゃって何度も口ずさんでいらっしゃったことがとても印象的でした。すごく思い入れがあって作ってくださったんだな、と。当時の仙台のエピソードもすごく面白かったですね。雪がたくさん降った時の思い出とかも話されていて、町の名前とか、お店の名前とかが出てきて。
──制作サイドでは、特に気を付けて進めた点、準備した点などはあったのでしょうか?
岩本:
私自身も小田さんほどのアーティストに取材するのが初めてだったので、なるべく小田さんサイドにご迷惑がないように準備しなければと思いましたが、当日はとてもウェルカムな雰囲気だったので、すべて流れに委ねました。事務所をお訪ねした際、事務所の吉田さんが笑顔で出迎えてくださったときに、何だかとても安堵感を覚えたんです。お家に招きいれてくださる感じというか、良い意味で芸能事務所っぽくないあたたかくてアットホームな雰囲気に、とてもほっとしました。
──あたたかい雰囲気をとても感じましたね。
岩本:
ええ。小田さんも学生の皆さんと対等に目線を合わせて話してくださって、“アーティストと学生”というより“先輩と後輩”という感じで話してくださっていることに感激しました。あとはやっぱり、ワンフレーズ歌ってくださった時に、感動しました。寄田さんもインタビューの途中で歌った場面があったじゃないですか。あれはやっぱり、タイミングがあれば歌声を聞いてほしい、というお気持ちがあったんですか?
寄田:
いやいや、そういうことはないんです。その方が説明しやすいかな、と思っただけで。
──もしあのインタビューの時に、小田さんに「君たち、ここで歌ってみてよ」と言われていたらどうしました?
寄田:
歌うしかないんじゃないかなあ。
本堂:
パートが足りていないので歌うつもりはなかったですが、小田さんから言われたら断れませんよね。でもきっとすごく緊張しちゃいますし、言われなくて良かったかもしれません(笑)。
──かえってあれで場の空気がちょっと変わったというか、少し緊張が解けた感じでよかったです。そして、このインタビューで改めて小田さんから『緑の丘』について聞いたことで、これから歌う気持ちの中に何か新しいものが生まれたりしましたでしょうか。
田中:
はい。変化というか、一層思いが強くなった感じです。この曲を1年生の時の演奏会で歌ってから、なんというか、「この曲を一番楽しめるピークは今じゃないな」と思ったんです。何十年後かにこう、学生生活を振り返ってみて、その時にまた学生が歌っていたのを聞いたら、その時が感動のピークなんだろうな、と。小田さんとお話して、やっぱりそうなんだな、と。今はもちろん、何十年後かにまたこの曲を聞くことがとても楽しみになりました。だからこそ、いま、この東北大学や仙台にゆかりがある方たちに私たちがこの歌を届けていきたいなという気持ちも芽生えました。
寄田:
私は中学生の時からずっと合唱をしてきたんですけども、歌詞の意味とか、表現とか、作った方の思いを実際に聞くことで、より一層表現豊かに歌いたいなと思いました。
西川:
僕は、正直に言うと、小田さんに会う前は『緑の丘』も自分たちがよく歌う曲のひとつ、くらいの意識だったんです。伝統的に歌われてる歌で大事な歌なんだとは思っているけれど、どこか他人事でした。でも、実際に作者である小田さんに会ったことで、本当に楽曲の持つ世界観に触れて、イメージが変わりました。今までは「こうやったらいい声が出るかな」など技術的なことを軸に考えて歌っていたけれど、小田さんが見てきた風景や地名が出てくる時に、自分が普段生活している場所のことを頭に思い浮かべたりしたら、技術じゃないところでもっといい味わいのある歌い方ができるんじゃないかな、と考えるようになりました。
本堂:
僕はもともと『緑の丘』はテノールのパートを取っていて、その後に部の人数構成の関係でアルトを歌ったりしていたんですけど、パートが違うと自分が歌う中でのその曲の雰囲気がけっこう変わったりしていたんですね。今回の取材で、いろいろな思いや裏話まで聞くことができて、『緑の丘』という曲についてまたひとつ視点が増えたな、というのがとてもいい発見でした。あとは、西川さんが小田さんに質問した話に出てきた「立ち並ぶ 白い教室」というフレーズ。僕も西川さんと同じく、今ある校舎をイメージして歌っていたんですけど、小田さんがイメージしたのは、今はもうない校舎だったんですよね。それを後から当時の写真で確認したら、本当に真っ白な校舎だったんです。それを理解して歌うことで、小田さんに思い浮かんでいた世界に少しは近づけているかな、と思ったりしています。
関:
あの取材の後に大学の卒業式があって、私は報道対応で会場に行っていたのですが、取材受付の脇を合唱部の皆さんがさーっと通っていったんですね。そして、式典で『緑の丘』を皆さんが合唱で歌ったんです。コロナ以降、今までずっと式典では音声を流すだけだったので、会場で生で歌うのは5年ぶりの復活でした。皆さんが人前で歌う機会をなかなか持てなくて悲しんでいた時期があったと思うんですけど、それがようやく復活できて、しかも取材の直後に皆さんがこの歌を4,000人を超える人が集まる卒業式の中で歌ったというのを間近で見て、すごく感動しました。そういったことも小田さんにお伝えしたいなと思っていて、アーカイブ映像もぜひご覧いただこうかなと思っています。
東北大学 https://www.tohoku.ac.jp/japanese/
東北大学校友歌
「緑の丘」
作詞・作曲:小田和正
なだらかな 坂道を上がれば 川内
広瀬川から 幾重にもかさなる 緑の丘
目に浮かぶは 忘れ得ぬ 立ち並ぶ 白い教室
すべてのことが そこから 始まって行った
そしてまた 友だちと 語らうは 遥かな夢
果てしなく 道は続くとも いつの日か そこへ行く
明けてゆく 青葉山に かけがえのない 今を想う
僕らの時は 限りなく ゆっくり 流れている
この街に 愛されて この街を 愛して
我らが青春の日々 風わたる 東北大
やがてみんな それぞれの 目指す場所へ 旅立って行き
そしていつか 社の都 仙台は ふるさとに なって行く
Kazumasa Oda Tour 2025「みんなで自己ベスト!!」