2019年5月14日、15日横浜アリーナ公演
「前回のツアーの終盤に”このツアーをもう少し続けていたいな、とスタッフに言って決定したんだけれど、それから半年の時間が経過して、もしかしたらお客さんはもういいんじゃないかな、余計なことを言ったんじゃないかな、と思ったりして不安になっていました。今日、こうしてこんなにたくさんのお客さんが来てくれて、心から嬉しく思っております。今日はこの追加公演をしたいと思った時の直な気持ちに戻って、一生懸命やります!今日はよろしくお願いします」
★コメントタイプ:ひとり語り
★アーティスト:artist-1259
「静かな過激さとマジカルな余韻」
音楽評論家 萩原健太
このような場で原務を書かせていただく光栄にあずかりながら、いきなりお詫びしなくてはいけない。
というのも、ぼくは小田和正というアーティストの、あまりいいリスナーとは言えないのだ。本当に申し訳ない。商売柄、オフコース時代も含めてアルバムやシングルの音源はリリースされるたび楽しませてもらってきた。好きな曲もそれなりにたくさんある。が、ライヴとなるとからっきし。見た経験はほんの数回だ。オフコース時代に何度かと、1985年に旧・国立競技場で行なわれたビッグ・イベント「ALL TOGETHER NOW」で多くのアーティストに交じって小田さんが登場してきたときと、山弦を含む佐橋佳幸絡みのイベントのいくつかにゲスト出演していらっしゃったときと…。本当に数えるほどしか体験していない。
もちろん、あれこれ噂だけは耳にしていた。いやー、ライヴでもヴォーカルがすごいよ、見事な歌唱力だよとか、バックの演奏も本当にクオリティ高いよとか、MCも味わいがあるよとか、あと、とにかく走るよとか…(笑)。にもかかわらず、ぼくはこれまでソロ・アーティストとして小田和正のライヴをフルで見たことは一度もなかった。
そんなぼくを、今回、小田さんのコンサートに誘ってくれたのは、たぶん読者のみなさんにもおなじみ、Far East Club Bandのギタリスト、稲葉政裕だった。
稲葉とは1990年ごろからの古い付き合い。ぼくが過去、プロデュース/アレンジを手がけたレコーディング・セッションに事あるごとに参加してもらってきた。
熱さとクールさというか、真面目さと不真面目さというか、笑いと涙というか、様々な要素が確かなテクニックのもと魅力的に共存する稲葉のギターがぼくは大好きなのだ。
いつだったか、稲葉との雑談の中で、ぼくが小田さんのライヴを一度もフルで見たことがないという話になったことがあって。えー、そうなんですか、だったら今度ご招待しますよ、と。そんな稲葉のうれしい計らいで、ぼくはとうとう『Kazumasa Oda Tour 2019 "ENCORE!!ENCORE!!”』の2日目、5月15日の横浜アリーナでのコンサートを見ることができたのだった。心から感謝します。ありがとう、稲葉!
というわけで、ぼくはとっかかりとして、まずは稲葉の勇姿を楽しみにしながら横浜アリーナへと向かった。ベースの有賀啓雄とも旧知なので、彼のプレイも楽しみだった。そして、ライヴ本番。彼ら2人の演奏に胸を躍らせ、思いのほかたくさんのコーラスをしている姿に驚き、フォーメーションを守りながらステージのあちこちに移動して客席を盛り上げているさまに感心しつつ、しかし当たり前のことながら、結局最終的には小田和正というワン・アンド・オンリーなアーティストの深く豊かな才能を改めて思い知らされることになったのだった。
幕開けは去年リリースされたEPからの「会いに行く」。以降、あまり熱心なリスナーではないぼくのような者にですら耳馴染みのナンバーが、ひとつ、またひとつと披露されていった。噂は本当だった。ライヴでもヴォーカルが素晴らしかった。小田和正のヴォーカルの特徴としてハイトーンということがよく語られるが、それだけでなく、長年活動を積み重ねてきた者ならではの太さと強さもそこに加わり、すでに70代に足を踏み入れたとは思えない充実した歌声を存分に楽しませてくれた。金原千恵子ストリングスを含むバンドの演奏も噂通り見事なものだった。
定評あるMCにも確かに味があった。あまり詳細に内容を覚えてはいないのだけれど、いきなり最初のMCで、“昔は誰かが追加公演をやると聞くと、どうせそんなもの最初から決まっていたんだろうと勘ぐったりしたものだけれど、自分でやってみることになって初めて、そうでもないんだなということがわかった”みたいな感想をもらして笑いをとっていたっけ。そして、まじ、大きな会場にぐるりと花道が張り巡らされた広大なステージをよく走り回っていた。ライヴ後半では客席にも下りて、各セクションをくまなく巡っていた。その体力とサービス精神には圧倒されるばかり。
小田作品に共通する大まかな特徴というと、少しだけ理屈っぽい”僕”が、どこか哲学的な、答えなど実はあり得ない自間を繰り返しながら、”君”に向かって淡々とつぶやくように心象を綴り、そのやりとりの中で、静かに、穏やかに、ぼくたち聞く者の心にも特定の情景なり思いなりを染み込ませていく、みたいな。そんなきわめて繊細な感触だと思うのだけれど。ライヴという、ともすれば少々ラフになりがちなざっくりした場でもなお、この透徹した世界観がきっちり確立されていることに驚かされた。
そして、「夏の終わり」をきっかけに、セットリストはオフコース時代のレパートリーへ……。
極私的な思い出話になるが。ぼくが初めてオフコースの生演奏を見たのは、その昔、TBSラジオで平日夕刻に毎日生放送されていた『ヤングスタジオLOVE』という若者向けの公開番組で。ぼくは高校生になりたてだったと記憶しているので、たぶん半世紀近く前、71年ごろのことだ。スタジオ観覧に申し込んで学校の友達と生放送会場に出かけた。この番組で生歌を披露する日替わりレギュラーをつとめていたアーティスト数組のうちのひとつが、デビューしたてのオフコースだった。
まだ生ギター2本+生ベースという3人組編成時代。ピーター、ポール&マリーとかサイモン&ガーファンクルとかを想起させる端正な持ち味のカレッジ・フォーク・グループという印象だった。
彼らを目当てにスタジオへ出向いたわけではなかったので、そのとき彼らの演奏に特に大きなショックを受けはしなかったものの、そこで生演奏を体験したことも何かの縁。新曲が出るたび、それなりに気にして聞くようになった。レコードを出す際、まだ自作曲はあまり採用されておらず、プロのソングライターの楽曲を歌っていた(歌わされていた?)時期だったが、そんな中では72年に入ってからリリースされた「おさらば」というシングル盤のことを特によく覚えている。
小田さんご本人にとってはもしかするともう思い出したくもない時期の話なのかもしれない。が、失礼ながらぼくは思い出してしまったもんで、申し訳ないけれど空気を読まず、この曲に関しての思い出を蒸し返させていただく。
そのころ、オフコースは4人組になっていた。当時、村井邦彦などと並んで洗練された音作りに定評のあった東海林修のペンによる楽曲。これがアレンジも含めてビーチ・ボーイズの「Good Vibrations」とタートルズの「Happy Together」をもろパクリしながら乱雑に合体させたポップ・サイケ調の1曲だった。
近年はパクリとか、そういう行為に対して十把一絡げに悪と見なすというか、ひどく狭量な世の中になってしまった。確かに糾弾されてしかるべき安易なパクリも少なくはない。が、中にはごきげんなパクリもある。痛快なパクリ。絶妙なパクリ。納得のパクリ。乱暴に言い切れば稚拙なそれも合め、パクリこそが文化を発展させてきた側面すらあるのだ。そういう意味で、ぼくの場合、パクリが大好物。おいしいパクリはむしろ大歓迎だ。特に70年代初頭、中期ビーチ・ボーイズ・サウンドに挑むバンドなど日本では皆無だっただけに、ビーチ・ボーイズが大好きだったぼくはオフコースの「おさらば」に驚喜した。タイトルに関しては、おさらば…って、それどうなのよ、とちょっと首を傾げはしたけれど、楽曲に関してはとにかくよくやった、と大いに盛り上がった。
レコードも買った。ぼくの初オフコース、初小田和正はこのシングル盤だった。B面に収められた「悲しきあこがれ」にもジミー・ウェッブとかキャロル・キングとか、あの時期けっこう気になっていた洋楽シンガー・ソングライターの味が盛り込まれていて。いやいや、こいつらあなどれないぞ、と、たかが高校生のくせに偉そうに思ったりもしたものだ。メジャー・セヴンスをはじめとする洗練されたコードの響きや、爽快なコーラス・ハーモニーがとても心地よかった。
以降、小田和正と鈴木康博の2人組となり自作曲中心に活動するようになってからも、アルバムで複雑な多重アカペラ・コーラスを開かせてみたり、コード進行マニアのぼくの心をくすぐるような転調を巧みに盛り込んだ曲を作ってみたり、オフコースはそれなりに気になる存在であり続けてくれた。何度も言うようだが、けっして熱心なリスナーではなかったのだが、初期のアルバム2枚、『オフ・コース1/僕の贈りもの』と『この道をゆけば/オフ・コース・ラウンド2』は友人からLPを借りてカセットにダビングしてよく聞いていた。懐かしい。
今回のコンサートで、のちの5人編成体制が事実上整い始めた時期のオフコースのレパートリー「夏の終り」と「秋の気配」が続けて歌われたシーンでは、そんな昔の日々をふと思い出してしまった。もちろん、基本的には『LOOKING BACK』でのソロ再演ヴァージョンに基づいてはいたのだけれど、旋律と歌詞のみずみずしさが思い出を呼び覚ます。これもまた音楽の魔力か。そういえば、ちらっとだけ話の流れから「秋ゆく街で」が披露されたりも…。今回のライヴ、感涙ポイントは少なくなかった。
もう少し、昔話を続けさせていただく。
付かず離れずの距離感でオフコースの活動を目に眺めてきたぼくが、より本格的に彼らの、というか、小田和正というクリエイターの凄みのようなものを意識するようになったのは、大方の音楽ファン同様、80年代に入ったばかりのころだ。「さよなら」「Yes-No」といった特大ヒット・シングルを受けて、例のタモリによる”さだまさしやオフコースの歌詞は暗い、女々しい”的発言が物議をかもすようになった時期。そうした強烈な歌詞世界の是非はともあれ、当時ぼくはオフコースの音作りに対するアプローチに思いきり興味を惹かれていた。
特によく聞いたのは81年のアルバム『over』。あのアルバムに収められていた小田和正作品「愛の中へ」が大好きだった。初めて聞いた瞬間から驚かされた。必要最低限の、いや、最低限以下のフィルインしか入れず、たまにシンバルでアクセントを付けるのみで、あとはひたすらリズムをキープし続けるドラム。ほとんど余計なランをせず実直にルート音をたどり続けるベース。コードの変わり目までただただ和音を伸ばすだけのキーボード。
何もしていないじゃないか、と。まじ、思った。隙間だらけ。その隙間を縫うように小田和正の個性的なハイトーン・ヴォーカルと、イーグルスぱりのコーラス・ハーモニーと、緻密にフレーズを編んだツイン・リード・ギターが舞う。
すごいな、と本気で感心したものだ。アーネスト・ヘミングウェイが『老人と海』を執筆する際、何度も何度も推敲を繰り返し、もうこれ以上はないというところまで無駄な言葉を削いでいったという有名なエピソードすら、ふと思い出したほどだった。俳句の在り方に似ているなとも感じた。そして、この姿勢はけっこうロックだなと思った。女々しいなんてとんでもない、と。
このロックな”何もしない”感が雄々しく『over』というアルバム全体を貫いていた。当時の彼らがもっとも参考にしていたと思われる音作りは、たぶんイーグルス、ドゥービー・ブラザーズ、ダン・フォーゲルバーグ、ジャクソン・ブラウンといった70年代米国西海岸系アーティストのそれだろう。アコースティックな音像を基調に、爽快なコーラス・ハーモニーと、アタックの効いたハードなディストーション・ギターなどが絡んでくるスタイル。が、音だけ聞いていると確かにそこそこハードなのだが、オフコースの場合、小田和正にせよ、当時の相方、鈴木康博にしても歌声がきわめて繊細であったがゆえロックっぽさが薄い。アダルト・コンテンポラリー感が強くなる。ライディ・マイズナー、あるいはティモシー・B・シュミットをフィーチャーしたイーグルスの感じと言えば洋楽ファンには伝わりやすいだろうか。それだけにパッと聞き、つい女々しいとか言われてしまいがちだったのかもしれない。
『over』には、初期2作のオリジナル・アルバムでもぼくが惹かれた転調の妙を活かした楽曲もあった。たとえばB面2曲目「哀しいくらい」とか。ここからまた少々マニアックな話になってしまうのだけれど、お許しを。この曲、基本的にはDのキーとFのキーを行ったり来たりする曲なのだが、その行き来がなかなか浮遊感に満ちていて面白かった。冒頭はEm9とF♯m7との繰り返し。Dのキーのもと、モーダルな感触をたたえながら曲が進行し、やがて一度も主和音であるDに戻ることなく、キーDのⅢ度マイナーにあたるF♯m7から、いきなりキーFへと転調して転調後のⅡ度マイナーにあたるGm9へ。結果、コードの構成音全体がそのまま半音ずつスライドする感じになるのだが、ここが最初の浮遊ポイント。この感じはジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンなどギタリストがよく使うパターン。たぶんキーボード中心に曲作りしているであろう小田和正が採り入れているのが妙に面白かった。
次なる浮遊ポイントは、キーFのもとでのFmaj7→Dm7→Em7(-5)→A7という哀愁に満ちた進行を経て、普通ならばDmへと解決するところをメジャー・コードであるDへと転調しながら展開していくところ。他にも、一瞬ながらキーBに解決する箇所もある。こうやって細かくキーを行き来しながら、”哀しいくらい君が好きだ”と確信に満ちた口調で告げているようでいて、実は相手の気持ちを読み切れず思いがくらくら揺れているような、なんともモラトリアムな気分をうまく表現していた。すげえな、と感心した。
よく取り上げられることが多い「Yes-No」のオフコース・ヴァージョン冒頭に登場する珠玉の転調にも通じる感触だ。今回のコンサートでも同曲は披露されていたが、そちらのライヴ・ヴァージョンでは、イントロから歌へ特に転調することなくごく普通に雪崩れ込んでいて、転調マニアのぼくとしては少々寂しかったりもしたのだけれど。オフコース・ヴァージョンのほうは入口から素晴らしかった。
ファンの方には耳タコの話だろう。あの曲のイントロのキーはB。Ⅳ度メジャー・セヴンスにあたるEmaj7からスタートして、次にベース音はEのままF♯へとコードが変わり、続いてD♯m7→G♯m7という流れを繰り返して、歌に入るところでいきなり半音上のCのキーへと転調。”今なんて言ったの?”のところで、やはりCのⅣ度にあたるFmaj7へ…。イントロが終わるとともにいきなりスピーディに訪れる転調による場面転換が、歌詞と相まって、あ、ごめん、今何か言った?聞いてなかった…的な心の揺らぎを表現していて本当に秀逸だった。
『over』の収録曲としては、「言葉にできない」の転調も大好きだったっけ。これも今回のソロ・ライヴ・ヴァージョンでは聞くことができなかったが、オフコース時代のスタジオ・ヴァージョンではイントロとそれ以降でキーが異なっていた。イントロはキーG。Em→Am→D→Gという進行を繰り返したあと、ラーラーラー…というヴォーカルが出てくるところで突如キーGのⅣ度マイナーにあたるCmに飛び、これをⅥ度マイナーと解釈しつつキーE♭へ転潤。そのまま移調してCm→Fm→Bb→E♭と繰り返す。見事。”つかみ”はばっちりだった。
ただ、すべてがあまりにも精巧かつ自然に展開しているため、ほんやり聞いていると特に何の違和感もなく、むしろ心地よく流れ去っていってしまう。それだけについ見過ごされてしまう。自称”硬派”なロック・ファンあたりからは、まあ、もし罵倒してもらえればまだまし、大方の場合、完全無視されてしまいがちなポイントだったりする。が、とんでもない。確かにパッと見の印象は穏やかで、とっつきやすく、保守的に思えるかもしれないけれど、小田和正が一見ひたすら親しみやすく思えるその音像の背後に周到に潜ませた音楽的アイデアやテクニックは、凡庸なロック・アーティストごときは軽々と職散らしてしまうほど、とてつもなく高度なものだった。
“静かな過激さ”とでも言えばいいのだろうか。ぼくにとってはこの部分こそが、小田和正の最大の魅力だ。今回のコンサートでも、セットリストの随所に顔を覗かせるそんな小田和正ならではの魅力をぼくは存分に楽しませてもらった。
コンサートのどのパートでのことだったか、よく覚えていないのだけれど、”2人でオフコースをやっていたころ、よくマンネリと言われました。それから何年も経って、今度は普遍的と言われるようになって。マンネリも歳月を重ねれば普遍になるんだな、と…”みたいな趣旨のMCも披露され、それがやけに印象的だった。
音楽ジャーナリズムの世界には”常に新しくあらねばいけない”という強迫観念のようなものがあって。とりあえずパンクっぽかったり、ヒップホッブっぽかったり、トランスっぽかったり、オルタナティヴ・ロックっぽかったり、エレクトロニカっぽかったり、時代時代の“最先端”的な音像なりグルーヴなりを採り入れていると、もうそれだけで安易に”今の時代に呼吸している”と高評価を与えてしまう風潮がある。
自戒も込めて言えば、これは評論家なりジャーナリストなり、音楽情報を提供する側の怠慢でもあるわけだが。
ただ、ベテラン・ミュージシャン側でもまた同じ強迫観念にとらわれ、自分のメロディ感覚や歌詞の持ち味に全く合わないにもかかわらず、むりやり新時代の音作りをこれまた安易に採り入れてしまう者が出てきたりするから話はややこしい。普段ぼくは洋楽系の仕事を中心にしていることもあり、例が英米アーティストばかりになってしまって恐縮なのだが、たとえば『フラッグ』(79年)のころのジェームス・テイラー、『マッカートニーⅡ』(80年)のころのポール・マッカートニー、『トランス』(82年)のころのニール・ヤング、『スピーディング・タイム』(83年)や『シティ・ストリート』(89年)のころのキャロル・キング、『オーガスト』(86年)のころのエリック・クラブトン…。事情はいろいろあると思うが、中堅からベテランへという歩みの中、それでも自分はけっして古臭い存在なんかじゃないと腕尽くで主張しようと空回りしがちな時期とでも言えばいいのだろうか。
ベテラン・ミュージシャンの活動歴を振り返ってみると、そんなふうに迷いに満ちた時期というものがありがちだ。大方のアーティストが迷いの時期を経験している。小田和正にもそういう時期があったのかどうか、ぼくは付かず離れずの位置で遠巻きに活動を眺めてきただけのほんやりしたリスナーなのでよくわからないのだけれど。無責任に推測させてもらうと、たぶんあったんじゃないかと思う。仕方ない。そういうものだ。けれども、今回のコンサートを見る限り、少なくとも今は違う。そんな中途半端な迷いなど、彼にはみじんもないのだなと確信できた。
時代の空気感に呼応した新奇なグルーヴなりサウンドなりを生み出す役割は、基本的には新進気鋭の若い世代が担うべきものだ。かつて、若いころポップ・ヒストリーにおいて大なり小なり何らかの形のショックを一度でも与えていて、それを確実な手応えとともに自覚できている熟練アーティストならば、別にいつの時代にも常に新しくあろうと躍起になる必要はないとぼくは思っている。自分の作り上げた”味”の中で何かを表現することがあっても何の問題もないはず。その味がそのままの形で"今”という時代に有機的に機能しているのならば、それは紛れもなく現役の音楽なのだから。
新曲か、昔の曲かさえ問題外。2000年、鉄壁のバック・バンドを従えて往年の名アルバム『ペット・サウンズ』全曲をそっくりそのままステージ上で再現してみせたビーチ・ボーイズの中心メンバー、ブライアン・ウィルソンや、2001年から新バンドを率いて全世界をツアーして回り、ビートルズやウィングス時代の名用をたっぷり含む熱狂のライヴを続けるポール・マッカートニー同様、今回の横浜アリーナでのコンサート中盤、オフコース時代の名曲群をこれでもかと連発して聞かせてくれた小田和正もそれを証明してくれていた気がする。
確かに、ポップ・ミュージックというものは、今この時代、この瞬間をどれだけパワフルに、太く表現できるかという課題を宿命的に背負った音楽だ。とすれば、瞬間瞬間の空気に触発され、瞬間瞬間の思いを切り取って駆け抜けていくスピード感こそが命。作り捨ての勢い。聞き捨てのバワー。が、それだけじゃない。それだけで終わらないからこそポップスは素敵なのだ。作り捨て/聞き捨てを基本に時代を駆け抜けるたくさんのポップスの中に、ときおり鋭く永遠の真実を射貫くフレーズがまされこんでいたりする。時の流れなどものともしない、圧倒的なパフォーマンスが展開されていたりする。そんな一瞬のきらめきが、やがて時を超えて永遠の輝きへと昇華する。こうした在り方もまた魅惑的なポップ・ミュージックの一面だ。
いわゆる”エヴァーグリーン”というやつだ。時代の流行サウンドなどにまったく左右されない、ポップスの黄金律に貫かれた名曲たち。安易な形で時代性を反映しなかったからこそ、時代を越えて生き残ったたくさんの曲たち。今回の横浜アリーナのコンサートでの小田和正も、”ご当地紀行”を間に挟んでラストへと駆け抜けていく流れの中、そんなエヴァーグリーンな魅力をたたえた楽曲たちを確信に満ちた音作りでぼくたちに届けてくれた。
この夜、オフコース時代の曲から最新のソロ曲まで、分け隔てなく、すべてを等距離で見事に奏でてくれた小田和正とFar East Club Bandの面々に、たとえば”時代の最先端”とか”先進的な空気感”といった曖昧な価値観と折り合いを付けようなどという卑屈な感触はかけらもなかった。かといって彼らは、ある特定の世代にのみ有効な共通の記憶と郷愁に寄りかかり、ノスタルジックなムードに甘えようとしているわけでもなかった。そして時折、会場のプロジェクターに映し出される観客の表情には、そんな”仲間”とともに長い歳月をともに歩み続けてきたんだという実感がにじみ出ているように見えた。誰もが心からその夜を楽しんでいた。
若いころは、時代時代で目まぐるしく変わる最先端気分に必死に食らいついていくことこそがかっこいいと思っていたものだけれど。年齢を重ねてくると、変わらないもののすごさ、時代の移り変わりに左右されずひとところに毅然とたたずんでいる表現の素晴らしさみたいなもののほうに惹かれるようになってきた。新しいとか、古いとか、そんな曖昧な価値観、どうでもよくなってくる。そんなとき、年齢を重ねるのも悪くないな、と。負け惜しみではなく、心からそう思う。
本編ラストを締めくくった「君住む街へ」も沁みた。オフコース最後のオリジナル・アルバム「Still a long way to go」に含まれていたこの名曲を、小田和正がソロ・アーティストとして再演したのは2001年、アルバム『LOOKING BACK 2」でのこと。作者である小田自身を含む3人のメンバーの歌声が交錯しながら、どこか壮大なスケールのもとで展開していくオフコース・ヴァージョンと違い、当然ひとりのリード・ヴォーカルで綴られているうえ、たぶんキーもほんの少し下げられたようで、おかげでぐっとパーソナルな手触りの1曲へと生まれ変わっていた。セルフ・カヴァーすることでむしろ時代性のようなものを剥ぎ取り、楽曲の骨格だけを提出してくるかのような、作考ならではのいさぎよさが感じられる仕上がりになっていた。
そんなふうにして往年のバンドでのレパートリーが、シンガー・ソングライターとしての小田和正のパーソナルな歌へと姿を変え、新しい時代なりの新しい意味合いをたたえながら時を超える。別の輝きを帯びる。その感触は、今回のコンサートでのパフォーマンスでもよりいっそう強く伝わってきた。30年以上前の楽曲であるはずなのに、あの夜、あの場に集まった観客ひとりひとりに小田和正が歌いかけるための歌であるかのように響いた。それは逆説的に、昔から自分は何ひとつ変わっていないんだよという小田和正の雄々しい主張でもあったと思う。
穏やかで、あたたかくて、でもほんの少し切ない。そんな余韻を残してくれたマジカルな夜だった。
と、まあ、こんな感じで知ったふうなことを偉そうに語り続けてきたぼくではありますが。
しつこく繰り返せば、小田和正のコンサートをフルで見ることができたのはこれが初めて。初体験。この文章を読んでくださっているファンのみなさんに比べれば、ガチのシロートだ。実はいろいろなことがよくわかっていないまま。どの曲がコンサートの定番でどの曲がレアな選曲だったのかすら、さっぱり。なので、語る資格、なしかも。的外れな記述も多かったに違いない。にもかかわらず、長々とすみませんでした。もし何かぼくに語れることがあるとしたら、んー、稲葉のことくらいかなぁ…(笑)。
小田さんのファンにとってはどうでもいい話なのかもしれないが、稲葉は近年、甲斐バンドのサポートもしていて。80年代、まだポップ・ミュージックの音作りに関して発展途上にあった日本のレコーディング・シーンで、いつもオリジナル・アルバムのトラックダウンネビル・シュネーとともににロサンゼルスのチェロキー・スタジオで行なっていたオフコースと、同じころ同様にアルバムのトラックダウンをボブ・クリアマウンテンとともにニューヨークのパワー・ステーション・スタジオで行なっていた甲斐バンドと、この2組のアーティストが開拓者としてシーンにもたらしたノウハウはとてつもなく大きかったとぼくは常々思っている。
そんなオフコースを率いていた小田和正と、甲斐バンドと、両方の重要アーティストのサポートを、今、稲葉が担っているなんて。もう、それだけでぼくとしては大尊敬というか。誇らしいというか。そんなことも含めて、稲葉、本当にありがとう。
みなさん、稲葉のこと、今後ともよろしくお願いします…って、何の話だ?(笑)
Kazumasa Oda Tour 2023 「こんどこそ、君と!!」