「ap bank fes'06」ゲスト出演。
僕らの始めた音楽は体制に反発することで成り立っているようなところがあったので「チャリティー」などと名の付くイベントに対してはとても敏感でした。それは恐らくそこに体制的な気配を喫き取っていたのか、或いは「チャリティー」ということ自体に偽善を感じたのか、ある目的のためにボランティアで皆がひとつになるということはほとんどありませんでした。そもそもみんながひとつになったりすることが格好の良くない、どこか居心地の悪いことだったように思います。「ボランティア」という言楽もまだ耳にしたことのない頃のことです。
時代は大きく変わりました。数年前からミスチルの櫻井くんとプロデューサーの小林武史くんたちがap bank という、簡単に言えばノン・プロフィットの金融機関を設立して正面からボランティアに取り組んでいます。強靭な意志がなければこんなことは続けられるものではありません。今年このイベントに呼んでもらいましたが、みんながほんとうに献身的で、頭の下がる思いでした。同時に若い人たちのこんな活動をとても嬉しく誇りにも感じました。
小田和正
★コメントタイプ:ひとり語り
★アーティスト:artist-0309
ap bank fes'06 Report
小田の事務所のホワイトボードに、かなり早い段階から、ポツリとその予定は書き記されていた。7月16日。ap bank fes.やがてリハーサルの日がやってきた。小田のリハーサルは、各ゲストの先陣を切って行われたらしい。話の経緯を言うなら、まずapの方から打診があったんだよ。去年の暮れ、まだツアー中だったよ。櫻井君には「クリスマスの約束」でもお世話になっているし、「ap bank」でやってることも、大変なことなのに頑張ってるな、とも思ってたし、断る理由はないから、”やりましょう”、ということでね。自分にどんなことが望まれてるのか、まずそれを訊いたりしたね。あと楽曲は、向こうに選んでもらった。でも、自分のファンだけが集まっているわけじゃないし、自分のレパートリーは少ないなら少ないほどいいよねって...。櫻井くんは、あれだけのゲストの曲を、全部自分で仮歌やれるくらいまで覚えたって言ってたしさ。だったら”あそこも、ここも櫻井くんが歌えば?”って。そうやって、どんどん自分のパートを減らす作戦に出たんだよ(笑)。
断る理由はない。この言葉、たまに小田から聞く。とっても消極的な意思表示に思えるが、逆だ。ソロになってからの小田を象徴する言葉かもしれない。バンド時代は、何かにつけ、断る理由を探していたのだろうから..。さて、小田が歌うことになった4曲を記しておく。
ラブ・ストーリーは突然に
伝えたいことがあるんだ
愛を止めないで
言葉にできない
ところでこのフェス、昨年観て思ったが、バンド主体の通常のロック・フェスとは、大きく異なる点がある。通常のフェスは、各自に持ち時間があてがわれ、出演順が決まり、基本的にその時間内なら何をやっても良い。だから、みんな自分たちが、一番客を盛り上げようとする。ただ、ひとつのバンドが終われば楽器の転換があり、しばし休憩となる。このフェスの場合、基本的にBank Bandが出ずっぱりで演奏(トリを飾るミスチルと、オープニングに登場するゲスト・バンドは例外)し、各ゲストを順に招き入れる。実に小気味良い。そこが大きく違う。
あと、ゲストも含めて、全体がひとつのものとして成されているわけでさ、それでいて一発勝負でもあるわけだよ。誰かのライブに呼ばれて、アンコールに"販やかし”みたいに出てくのとはエライ違うからね。いざ始まったら、新たに構築するチャンスはない。自分とこでヘンに盛り上げて、あとの人を出にくくするのもダメで、そこも難しいんだよな。でも、あれだけのゲスト招いて、よくやったと思うよな、小林(武史)君たちは。
7月16日。場所は掛川駅から車で数分ほどのところにある「つま恋 多目的広場」。三日間行われるこのフェスの二日目だ。出演は、沖縄の若き人気バンド、HY、小林武史の秘蔵っ子、Salyu、一青窈、小田とは交流のあるスキマスイッチ、女性二人組ヒップホップ・グループ、BENNY K、そしてASKA、などなど。櫻井はbank bandでも数曲歌い、もちろんミスチルのステージも引っ張る、まさに八面六臂の活躍だ(昨年もそうだった)午後二時、フェスが始まる。小田の登場には、まだまだ時間がある。
あくまで伝聞だが、小田は楽屋に入るなり、こう呟いたらしい。「俺が来ると、降るんだよ」。予想は当たり、スキマスイッチの演奏中、凄い雨足となった。しかし小田が登場する頃には、すっかり空は回復していた。
ステージの上の櫻井和寿が、自分とオフコースとの思い出話をする。姉が聴いていたこともあり、自分も小学生の頃、小田の歌声に初めて接し、「でも最初は、女の人が歌っているのかと思った...」と、当時の素直な感想を述べた。そして、小田の名を叫ぶ。小田は両手をあげて登場。「おぉ~またせしましたぁ~~!」イベントにゲスト参加したときは、大抵、この言葉とともに登場する。この日も同じだった。一曲目は「ラブ・ストーリーは突然に」だ。しかしお馴染みの”♪キャコカ~ンのイントロじゃなく、(おそらく)ドラムの山木秀夫のキッカケで演奏がスタート。こういうのアリなのか。そして、前回の自身のツアー同様始まるやいなや、ステージ下手へと疾走し、そして、逆方向へ。しまいに小田は、ステージを飛び下りて客席通路をスンズン進んでいく。櫻井の表情が、ちょっと呆気にとられているように感じられた、ということは...。さては...。
櫻井君もバンドもびっくりしたんだろうな。でも、ハンド・マイクもあるんだし、俺のライブを観たことある人は、”どっか行くだろうな”って思っただろうね(笑)。それに、お客さんが喜ぶのも分かってたからさ。走って行って客に近づいたとして、”来ないでっ!”って奴は、まずいないわけでね。えへへ。
あれは咄嗟の行動かって?咄嗟もなにも、本番のあのステージでは、リハをやってなかったんだよ。ぶっつけ本番だよ。でも、スタッフに"高さどんくらいなの”って訊いてはいたんだ。そしたら、”2メートル近くあるから、なかなか...”、みたいな話でね。でも、いざ始まってふと下を見たらき、もう一段あったんだ。モニターなんか置く台が。“ここからなら降りられるぞ...”ってね。だから、その場で見つけたんだよ。ウチのスタッフは、“なんか下、見てんぞってことで、兆候を感じてただろうな(笑)。別に、音楽はキッチリやってるんだから、あとは盛り上がればいいわけで、それで客の方へ、飛び下りてね。
前方座席通路を左折左折でステージに戻ってきた小田。しかし駆け降りるより駆け上がるほうが大変だったようで、スタッフの助けで無事に生還。櫻井は「打ち合わせにないんだけど」と、ヤラれたなーという表情でポツリ。でも、満面の笑み。実は、疾走しながらちゃんとボーカルを取る、ということでは、共通する両者なのである。走りながら“イェーイ”とか言う人は五万といるが、走りながらちゃんとボーカルを取れる人は稀だ。僕がこの数年観たライブで、走りながらきっちり歌ってた(まぁ、きっちり歌いたいなら走らなければいいのだが…)のは、小田と櫻井だけだ。そして「伝えたいことがあるんだ」へ。小田自身、「ラブ・ストーリーは突然に」とこの曲を、間髪入れずにつなげて演奏するステージもやったことがあったが、この日はぐっとテンボを落とした出だしである。歌いだした櫻井のボーカルは“独白調”とも言える響きであった。
リハの時の小林君によると、”この二曲が同じようにならないように、「伝えたいことがあるんだ」はエイトでやったんですけど”ってことでね。もちろん、”それでいいよ”って答えたんだよ。でもBank Bandが用意してくれていたアレンジは、俺の感覚からすると”ここは繰り返しじゃなく別のコードなんだけど”みたいなとこがあったし、櫻井君の歌うメロデイも、”ちょっと違うかな”っていうのがあったんだけど(笑)、まあそれは他人の曲をやる時は律儀にCD通りにっていう、俺の考えを元にしてのことでもあってね。最近思うのは、櫻井君が歌ってくれたメロディが俺のと違ってても、それは何のマイナスにもならないんだな、それぞれの解釈でいいんだな、ということでね。そうやって、“俺はバンドのみんなが用意してくれたものに乗るべきだよな”というのも、リハーサルの時から思ってたことでね。もちろん、もっと何度もリハーサルしてまったく新しい曲を準備してやるなら、”ここはもっとこうで”みたいなやりとりにもなっていったかもしれないけど..。
さて、ステージは進む。そして、小田はリハーサル中の、こんな暴露話(?)を。実はミスチルの曲を歌おうと思ったんだけど、「ダメだって言うんだよ」。でも構わずに”♪とどまあ~ること、しらな~い...”と「Tomorrow never knows」を歌いだした。それはワン・コーラスのサビ前くらいまでの長さだった。途中で歌詞のうろ覚えの部分に差し掛かって、そこで小田は歌い止めた。その歌声に耳を澄まそうという、会場の集中力が生まれたのも分かった。そして、ヤンヤの喝来。まさに、フェスならではの、予定外だからこそより印象深い、そんなヒトコマだった。この場面、小田にもっと詳細に“暴露”してもらおう。
あれか(笑)、あれはね、リハーサルに行ったら、壁に三日間通しての演奏曲目が貼ってあったんだよ。で、桑田(佳祐)はミスチルの「innocent world」歌うことになってるみたいだったし、だったら俺も「Tomorrow never knows」を歌った方が“客は喜ぶんじゃないかな?”って思ったのさ。でも、みんな一生懸命に俺の曲を覚えてリハーサルに臨んでくれてるんだし、”ここでひっくり返したらマズいだろうなぁ”、とも思ったけど、”でも言うのなら早い方がいい”とも思ってさ。だからリハの初日に、それ、言い残して帰ったんだよ。“ミスチルの曲をやりたい、そして、やるなら俺の曲はひとつ減らず”ってね。ところがそれが通らなくてさ(笑)。でも自分にはそういう気持ちがあった、“歌いたかったな”ということだけは、伝えたい。だからやったことだったんだけどね。でもまあ、あれだけでも充分だったかな、とも思ったけど。
充分だった。会場が和んだ。そして三曲目に歌われた「愛を止めないで」こそが、もし「Tomorrow never knows」が採用されたら削るはずの曲だったのである。でもそれには、バンドの面々が反対したという。理由は、彼らのこの曲に対する思い入れもあってのことだ。本番のステージで、櫻井はバンドを代表して、こんな表現をした。「(もしミスチルやるなら)"愛を止めないで”をやんないっていうんですもの」。でも、なぜこの曲の人気が高かったのだろう。実はBank Bandの面々は、オフコースを通じて小田の音楽を、中学・高校の時に聴いた人が多い。表立ってオフコースからの影響を声高に言わなくても、聴いてたということは、当然、影響された、ということだ。このバンドのベーシストの亀田誠司は、「東京事変」のメンバーとして椎名林檎と活動する一方、平井堅など、多彩なプロデュース・ワークで大活躍しているJ-POPの最重要人物だが、彼もぜひぜひこの曲はやりたいと願った一人だったという。しかも、オフコース時代のアレンジを、あまり変えずに…。サックスの山本拓夫は、ジャズからロックンロールまで縦横無尽に楽器で“歌って”みせる一方、アレンジャーとしても才能を見せる人。その彼が、この日の打ち上げの最中、いつもは沈着冷静なのに、ことのほか興奮していた姿を見掛けた。遂に小田和正と言葉を交わすことが出来たからだという。そんなステージ上のメンバーの熱い想いも乗せて、「愛を止めないで」が伸びやかに演奏される。小田自身はこの曲をやる時に、小田は自らの音楽人生を手短に語った。自分のことをよく知らない人達も多く詰めかけている場所だろうという、そんな判断からの自己紹介だったかも知れない。オフコースというバンドをやってて、やがてソロへ。脚色するわけでも必要以上に謙遜するわけでもなく、淡々と。
ひとつ、小田の言葉づかいで気になったものがあった。オフコースのことを、”そこそこのバンド”と表現したことだ。今の若い人にオフコースの音楽って、リアルじゃないわけじゃない?その現実に対して、というか、だから”そこそこの”っていうのは、遜ったというより、それだけの時が流れていて、でもバンド名くらいは知ってるだろうな、ということだったなぁ。まったくその辺は、ちょっと言葉の遊びはあったかもしらんけど、まさに数字的に言っても、時というのはその後にくらべて”そこそこ”だったしな。ミリオンは(井上)陽水の「氷の世界」だけだったからさ(70年代において)。その後、200万、300万て、あの頃はあり得ないと思ってたセールスの作品が、ぼんぼん出たしさ。まあ換算表も必要かもしれないけどな。でも、“昔の5万は今でいえば”とか、そんなこと言ったってしょうがないしさ(笑)。
僕がちょっとしたMCの言い回しにこだわったために、話を脱線させてしまったが、小田のひとつの特徴としてこんなことは言えないだろうか。物事を正確に伝えるため、曖味な言い方を避ける。彼の発言が時に辛辣と受けとめられるのは、相手の気持ちを考えないからではなく、「曖味」より「明確」を選択したからこそだったりもする。私事だが、かつて小田を毎号のように取材していた雑誌があった。しかし、残念ながら“休刊”することとなった。編集者がそれを告げると、小田はこう言った。“休刊じゃなくて、廃刊だろ?。ある日、福岡から羽田への便で聞いた機内放送に、小田がゲストで出ていた。女性パーソナリティは、小田にこう言った。「小田さんて努力家なんですねー」。小田の反応はこうだった。「いや、努力家ってほどじゃないよ。俺は努力する“たち”、なんだろうな」。努力する人とか言われるのは、とっても不本意なわけでね。自分を強いて、物凄く努力する。それはとっても大変なことだと思うんだ。でも努力する”たち”っていうのは、強くなくても努力するわけだからさ?ひたすら努力を重ねる人とは負担度が違うんだよ。なにしろ”たち”だから(笑)。綺麗好きの人が言われなくても掃除するのと一緒かって?そうだと思うよ。そこは大いに違うんだよな。
このまま行くとつま恋の隣町まで行きそうなのでステージに戻ろう。小田がキーボードを操り、そして、あの歌が始まる。「言葉にできない」。僕はこの時、いわゆる関係者席にいたのだけど、小田の歌を生で聴くのは初めての人達が多かったようだ。歌が始まると”ふぁー”という空気になった。この”ふあー”というのは、”ついに本物を生で聴いてしまったよ”みたいな感情だと思う。特に「言葉にできない」の場合、間接的に接する機会がとても多いからこその感である。関係者席のことを書いたのは、自分がそこに居たから紛れもなく体感したことだからだが、もちろん客席の大半の人も、この歌を初めて生で聴いたんだと思うし、「言葉にできない」を生で聴いて実感する、正に言葉にできない感激だったと思う。ファンにはベタ過ぎる感想も、この曲を初めて生で聴いた人のなかでは生きている。もっとも、僕のようなスレッカラシは、「今日のも凄かったけどもっと凄いの聴いたことあるもんね」などと呟いたりもするわけだが…。
小田のステージが終わり、ASKAのステージが始まる。ASKAの感覚でジェフ・リンのアレンジの方法論を取り入れた「青天を誉めるなら夕暮れを待て」が、とてもいい出来ばえだった。ASKAが終わったあと、小田は再びステージに呼び込まれた。Bank Bandと小田和正といえば、このバンドにより既に音源化され、両者を結びつける楽曲がある。そう、アレをやらなきゃ終わらない。「生まれ来る子供たちのために」。小田は出てくる時、再登場なのに恭しく櫻井に呼び込まれたものだから、ちょっと照れ気味だった。「小出しみたいで、すんませ~ん」小出しって、小田さん(笑)。やはりこの曲は完成度が違う、というか、すでに櫻井たちのなかで完成させた“自分たちヴァージョン”に作者が加わるのだ。そのことを櫻井も名誉なことだと話してから演奏をスタートさせた。この曲のリハーサルの時のことを小田が回想する。
リハーサルの時に初めて、小林君たちが演奏してくれる「生まれ来る子供たちのために」を聴いたんだけど、ウィリッツァ(鉄琴ぼいニュアンスの味わい深い音のするエレキ・ピアノ)みたいな、ちょっと懐かしい音も入ってるシンプルな演奏で、“あ、これ、いいな”って思ったね。俺自身もつい最近あの曲をやったけど(「たしかなこと」カップリング)、あっちはこねくりまわした感じもあったから…。でも、最初に櫻井君たちがこの曲を取り上げて歌ってくれてるってことを知ったときは、“へぇ”って思った。でもきっと、彼らのあの曲に対する評価は、あの時代にあの年齢の俺が、ああいう曲を書いて歌ってたからでもあるんだろうな。もし、いまの俺がああいう曲を書いても、取り上げてもらえなかったんじゃないかな(笑)。櫻井君と同じ歳の頃、あれを歌ってた。そのことが彼らには新鮮だったんじゃない?そういうのもあるんだろうな。今、昔の曲を探してみて、”これは面白そうじゃない?”っていう曲でも、”もし当時聴いてたら?”って思うと、また別だろうからね。「生まれ来る~」だって、”当時の人達”、特にレコード会社の連中にとっては、全然新鮮じゃなかったんだしな。いかにも青年にありがちな、潔白な、芥川龍之介とか太宰治みたいな青白い曲を書かないでもいいんじゃないの、みたいにしか見えなかったんだと思うし。俺の中には常にあることだったけどな。だから歌にしたわけだから。「言葉にできない」も、あれは自分の中の信念みたいなものだし、それがいま、公に通ってるんだとしたら、あの当時、自分で自分を“見切る”ってことにおいては、間違ってなかったんじゃないかな。
目の前で小田和正と櫻井和寿が一緒に歌っていると、あのことを思い出す。そう、「クリスマスの約束」で両者が共演した時のことである。櫻井が小田の歌い方の特徴を物真似して、「僕ば”♪とどま~ること、しらなぁ~”って、つなげて歌うこと多いんですけど、小田さんは”♪とどっ まぁ~るっこと、しらなーい”って、区切って歌いますよね?」と、そんなことを言ったのだ。小田は、“歳で息が続かないから区切るんだ”と言ったが、そうでないような気がする。いや、二人が歌っていると、つい耳がそこにいく。でも、櫻井の声の成分に含まれる「慈愛」のようなものが、この曲をやるといっそう伝わってくる。そう感じたのは僕だけじゃない筈だ。
fes.のラストは全員で「to U」を。小田ももちろん、自分のパートを覚えて参加した。ステージの上の出演者達が揺れて、観客も揺れる。野外ライブのいいところは、ただ音楽の送り手と受け手という関係だけじゃなく、一緒にその場所で何かを経験し、想い出が作れたという、その実感が残ることだろう。見ると小田がスキマスイッチの常田(アフロの人)と肩を組んで揺れていた。いいなあ、やはり想い出作りが上手な人は違うと思った、が…。あれはね、こういうことさ。スキマのボーカルは大橋君で、常田君は歌う奴じゃないのに、一生懸命マイクの前に行ってたからさ。所在なさ気で間が持たなそうだったから、俺から寄っていったんだよ。でも、あのイベントは楽しかったね。
同じ敷地内にリッパな施設(ホテルや結婚式場)などがあり、そのなかで楽しい打ち上げが始まった。みんなで労をねぎらい、そして、それぞれに談笑している。二年連続出場のスキマの二人が、盛り上げ役を買って出て「ふれて未来を」を熱唱する。で、サビのとこを色々な人に歌わせている。先輩であろうと物おじせず、小林武史にもASKAにも、そして、小田にも…。出演者がひとりずつ、司会者からの指名で、挨拶していく。もちろん小田にも、順番が回ってきた。小田の話はとても「明解」だった。我々は、どうやって、この先に進んでいけばいいのか?スタッフはくれぐれもアーティストを甘やかさずに、常にキャッチボールしていいものを作って行ける環境づくりをして行って欲しい…。要約すると、そんな内容のものだった。打ち上げの挨拶の事後解説まで本人に頼むのもどうかと思ったが、今回の取材で自然とそんな話になったので、最後にそのあたりのことを、小田さん、お願いします。
そもそもこうしたコンサートをやる時って、ステージにいる人間はもちろんだけど、現場のスタッフの努力がとっても大切だからさ。だからまず、そんなスタッフに向けてのメッセージ、というのもあったからね。アーティストはさ、いい曲を作れるように油断しないで精一杯の努力して、それに対してスタッフは、厳しい目で見ないとね。スタッフが力つけて、”いいです“”良くないです”と助言できるようになんないとな。そうじゃないと、せっかくのいいアーティストも、妥協しちゃって、先に進んでいかなくなるから。
小田のスピーチは他の出演者より長いものだった。みんなそれを静かに聞いていた。歌って、そして、伝えるべきことを伝えて、小田は満足そうな表情でひきあげて行った。来年、同じような形でap fes.が開催されるかどうかは決まってない。ただ、小田と櫻井や小林との共演はこれで最後になりそうかというと、どうやらそうでもなさそうな気がしている。またいつか、どこかに得然という木の葉が舞い降り、また、必然というものが芽吹いたなら、この人達は音を響き合わせているような気がするのだが…。
小貫信昭
KAZUMASA ODA TOUR 2008"今日も どこかで"