ドキュメンタリー「キャディ 青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」CSホームドラマチャンネルにて放送
遡ること30年、ゴルフ界のレジェンド青木功プロのキャディとして全米シニアツアーの公式戦を帯同し、記録されたスペシャル・ドキュメンタリー。
ゴルフ界のレジェンド青木功のキャディを小田が務めた。二人の間に生まれ育まれたものは何だったのか?
1993年秋、世界で活躍する青木功のキャディを小田が務めた。その一部始終が映像に収められ、翌1994年の5月にテレビ放映された。タイトルは「キャディ 青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」。それから30年を経た今年秋に再びその映像がCSで再放送される。一素人がプロキャディをやったらどうなるのか。小田の夢と冒険の果てには何があったのか。ゴルフをやらない人にとっても、とても興味深い出来事であることを、ここで放送前に記述してみたい。
プロが試合で見る景色、気持ちを知りたい
青木功がキャディの小田和正に言った。
「空を見てごらん」
慌てふためき、頭が真っ白になっている小田を見て青木が言った優しい一言。それまでは「慌てない」「落ち着きなさい」「リラックスしなさい」と小田に言っていた青木だったが、そう言えばますます慌てて落ち着きをなくし膠着してしまう小田を見て、そうした言葉が逆に緊張させるとわかり、「空を見てごらん」の言葉になったのだ。
初めてプロゴルファーのキャディ、それも世界の青木のキャディを務めた小田には、空を見る余裕などまったくなかった。できるはずと思っていたことが何一つできない。スタートした1番ホールから叱られてばかりの自分に腹が立ち、やがて青ざめ、遂には呆然自失となった。「迷惑ばかりをかけている」とそればかりになってしまっていた。
青木から「なにやってんだ!」「バカ、バカ者」と言われる度に「すみません」としか言えない小田。すでにミュージシャンとして大成功していた小田がここまで惨めになる。しかしもう後には引けない。自分から言いだしたキャディ志願。「何度、バカと言われたか」、小田には長い間経験していないことだった。それも人に謝ることだってとても少なくなっていただろう。それが今、現実となっている。
1993年10月、アメリカ・ロサンジェルスでのことだった。市内にある有名なパブリックゴルフ場、ランチョパークで行われたPGAツアーのチャンピオンズ(シニア)トーナメント「ラルフズ・シニア・クラシック」。青木のキャディを小田が3日間行うことになり、それがドキュメンタリー映像として収められ、翌年5月にテレビ東京で放映された。タイトルは「キャディ青木功/小田和正~怒られて、励まされて、54ホール」、まさにそのままの出来事だった。
青木功はこのとき51歳(現在82歳)。真っ黒に日焼けし、髪の毛は黒くゴワゴワ逆立ち、尻の筋肉は黒人のように上がっている。まだまだ若く精悍だった。一方の小田はこのとき45歳(現在76歳)。前髪の一部だけが白かったが短い黒髪は立ち、スリムなボディで青年のような若々しさだった。身長180cmの青木に対し、172cmの小田。「青木の息子かい?」と聞かれるシーンもあった。迫力ある大きな父のキャディを息子のような小田が務める。怖くなかったと言えば嘘になるだろう。その父が何度も息子を諭すように叱るのだ。
今初めてこの映像を見て、ボクは胸が締め付けられた。小田のキャディ初日での出来事は他人事とはまったく思えない。できると思えたことが何一つできない不甲斐なさ。青木に怒られ、バカと言われても言い返すことなどまったくできない。その通りだから仕方がない。ボクはゴルフ雑誌の編集長をしてきて、マスターズや全英オープンなどの国際メジャー大会や国内の主要大会を数多く取材し、プロについてインタビューを星の数ほどもしてきて、プロの傍らにいるキャディがどれほど大変な仕事かということを嫌というほど知っている。
キャディが完璧に自分の仕事ができたとしても、プロのショットが酷くスコアが悪ければキャディのせいにされる。当たり散らされる。そういったことが本当に多いのである。あるときキャディがプロを取材するボクに言ったことがある。「僕はプロのサンドバッグですから」。つまりいつでもボコボコにされることを良しとしなければキャディの仕事は務まらないということである。
その言葉を聞かなくてもプロのキャディだけは絶対にしたくないと思っていた。何で彼らはプロのキャディをするのだろう。プロゴルファーになれなかった思いを断ち切れずにロープの中に入れる仕事を選んだのか。未練がプロキャディを志願させるのかと。しかし、プロのサンドバッグともなるプロキャディを、こともあろうにスーパーシンガーの小田和正がどうしてやらなければならないのか!尋常ではない!すぐさまそう思った。ましてや、もしもキャディとしての仕事が上手くできなかったとしたら。身の毛もよだつ恐ろしいことだ。
ところがそれが現実となって画面に映し出されている。青木は慌てふためく小田を思ってか、怒りを爆発させたりはしない。しかし、小田がこれほどキャディの仕事ができないとは思わなかっただろう。でなければ、公式戦で素人にプロキャディをさせるわけなどないからだ。何もできない小田も可哀想だが、青木もまた可哀想にボクには思えた。なんという愚かなことを二人はしたのだろうと。目を覆いたくなるほどの試合の始まりだった。
できることなのに、それができない哀しさ
小田がキャディをすることになったのはゴルフ雑誌の連載に起因する。ゴルフにのめり込んではいたがゴルフ雑誌のインタビューの連載をするとは考えてもいなかった。目立つことが嫌いで専門的なことも話せない。しかし一度きりのつもりが二度三度になり、いつの間にか連載となっていた。小田の心に、自分のゴルフに役立つことがあるかもしれない。そんな気持ちがなかったとは言えまい。連載すれば本にしたいと出版社は言う。断るつもりが思わず、自分がキャディをやったら面白い本になるかもと言ってしまった。これまたゴルフ好きの好奇心が言わせたものだったのかも知れない。どうせキャディをするなら、プロのキャディ、それも海外で、しかも本番の試合でと夢が口をついて出た。さらに「青木さんのキャディができたら」と進展してしまった。
小田は学生時代に友人たちと打ちっぱなしに行き、社会人になって本格的にゴルフを始めた。野球をやっていた経験からボールを打つのは上手かった。ゴルフが個人スポーツであったこともゴルフに向いていたかもしれない。ゴルフは理知的なスポーツだ。コースを上手く攻めるには自分の能力を鑑みて最善のルートを考えなくてはいけない。その構築は小田が学生時代に学んだ建築学にも似ているだろう。すぐに上手くなれないゴルフ。探求心が強く、集中力や精神力がものを言うゴルフに小田がのめり込んでしまうのは当然だとも言える。ゴルフ雑誌の仕事を受けたとき、小田はハンデ11の腕前になっていた。
プロゴルフの世界への興味はプロアマ戦に出場するようになってさらに膨らんでいった。日本屈指のプロである中嶋常幸や岡本綾子、マスターズ優勝者のマーク・オメーラとも一緒に回ったことがあった。プロたちの技術や精神などの言葉に小田は惹きつけられた。そして何よりも凄いと思ったのは青木功のゴルフだった。幾度か青木とのプロアマを経験し、太平洋マスターズのプロアマ戦では優勝したこともあった。青木の堂々たるプレー、無駄な力が一切入っていないスイング、奇跡とも思える絶妙の寄せやパット、我慢強く粘り強いプレーに感嘆した。そして何よりも小田を虜にしたのはゴルフが好きで好きで堪らないという青木のゴルフに賭ける愛情である。だからキャディは青木の、ということになるのだ。
とはいえ、この申し出は青木が断るに決まっていると思った。それはそれで残念だが、ほっとする安堵感もあった。だが、青木は引き受けた。素人が本番の試合でキャディをする。あり得ない空前の申し出がOKとなった。小田は信じられなかったに違いない。青木にとってデメリットはあってもメリットになることはないと小田は思っていたからだ。そしてその通り、青木は断ろうと思っていた。しかし、妻のチエ夫人が「功のためにきっとなる」と青木を説得したのである。
何が自分のためになるのか、青木にはチエ夫人の考えはその時わからなかっただろう。ただ、青木はきっとそのときにプロアマでの小田のプレーを思い出したに違いない。真摯で嘘のない本気のゴルフ。1打を大切にし、絶対に投げないゴルフ。ゴルフに愛情がある。彼がやりたいというのなら良いかと、青木は思ったのだ。素人がキャディをしたらどんなことが起きるか、それにも興味が湧いたのかもしれない。
小田のキャディをする日程が決まった。そして、その1週間前に青木のゴルフを見学することになった。目的はキャディの仕事を見ることだった。ジョンというキャディが3カ月前から青木についていた。しかし小田は青木のプレーに魅せられ、キャディを見ることを忘れてしまう。そこには小田の油断もあったに違いない。キャディの仕事は知っている。距離を伝え、ボールを拭くことだと。しかし、それはアマチュアのゴルフにおけるハウスキャディの仕事に過ぎない。プロキャディには他に多くの仕事があり、それを迅速に行う必要があった。それがプロキャディの仕事である。シングルハンデの腕前があったとしても、プロキャディの本当の仕事はわからない。経験が必要なのだ。
キャディ事始めは青木の練習から
小田が青木のキャディをする日がやってきた。先週の大会を見学したとき、キャディのジョンは青木と自分を、「俺たち」“We”と呼んだ。「俺たちは上手くプレーした」と言うように使う。選手とキャディはチームであり、使う側と使われる側ではないということか。小田にはその言葉が印象的だった。自分も“We”と呼べる関係になれるのか。もしそうであれば、日本のプロゴルフ事情とは異なり、とてもいい関係だとボクは思う。果たして青木と小田は“We”になれるのか?
練習場ではまずクラブの拭き方を青木は小田に教えた。タオルを水に濡らし、濡れた部分でグリップを拭き、その後で乾いた部分で拭く。「触ってみな、ベタベタするだろう」と青木。これでスイングしてもクラブがピタッと手にくっついて良いショットが打てるのだ。そうでなければ手の中でグリップが回転して思わぬミスを招く。大事なことなのだ。また、打ったクラブのヘッドは綺麗に拭く。フェースだけでなく、ソールに彫られた番手の文字にめり込んだ土もティペッグで掘り出さなければならない。これもまたショットを微妙に狂わせるからだ。アマチュアならそこまでの事はしない。精度の高いショットを打てないからだ。プロの世界のキャディ登竜門が最初にあった。
ショット練習の後でパット練習。終わって「4ホールくらい回るか?」と青木。実際に回ってキャディの仕事を教えようと思っている。小田にとってはとてもありがたい申し出だ。すぐさま「はい」と答えた。チャンピオンズツアーではカートを使っていい。選手に各1台。小田にとっては重いキャディバッグをずっと背負う必要がない。青木はそれも見越して小田にキャディを許したのか。何せプロのバッグはレインウェアや傘などいろいろなものが入っていて軽く15kg以上もある。素人が担ぐのはそれだけで重労働だ。
4ホールの間に青木はカートの止める場所やショットして削ったターフ(芝)を元に戻すこと、ピンフラッグの持ち方やグリーンのどこにキャディはいるべきか、そういったことを小田に教えた。もちろんクラブ選手権などにも出場している小田はすべてわかっていただろう。わかってはいてもそれを即座にやらなければならない。この4ホールだけでも小田は慌てふためいてグリーン上のボールも拭き忘れる始末。
さらに大変なのはボールからピンまでの距離を正確に青木に伝えなければならないこと。ヤーデージブック(コースのホール図が描いてある手帳)を開き、スプリンクラーなどに記してある距離からボールまでを歩測してピンまでの距離を割り出すわけだ。アマチュアなら大体の距離を伝えればいいが、プロには1ヤード単位で正確に割り出して告げなければならない。青木が尋ねたときに即座に答えられなければそれだけでキャディ失格である。慣れない小田は引かなければいけない距離を足してしまい、叱られた。
国立の東北大学を卒業し、早稲田大学の修士課程まで修了している小田が引き算もできないのかと中卒の青木に思われてしまったのだ。どれほど自尊心が傷ついたことか。しかし、慣れない、慌てる、緊張すれば、誰でも小学1年生になってしまう。様々な事をこなすにはあまりに時間が足りないと小田は不安に襲われた。
さらに指摘されたのはバッグの担ぎ方である。肩から担ぐわけだがバッグの口が前後逆になったりする。端から見ていても悲しくなるくらいの素人担ぎ。思わず青木が言う。「尻で担ぐのよ」。キャディバッグを背中側に回し、尻でバッグを持ち上げるようにすれば楽に担げるし、見た目にも格好いい。青木からすれば「そんなことも知らないのか」と驚いたことだろう。小田は思った。「大変なことになった」と。
ミスの責任はすべて自分にある。それがゴルフ。
翌日はプロアマ戦。青木は日本人ゲストとラウンド。小田はスポーツ新聞にキャディをすることが記事となり、正体がロスの人にもバレる。地元のテレビ局は小田を日本のトニー・ベネットなどと紹介する。小田はきっと「どこがじゃ」と思ったに違いないが、黒子に徹しようと思っているので、そっとしておいて欲しいのが本音だ。この日はグリーンのラインを読まされたり、ピンまでの距離を聞かれたりと、昨日同様のキャディ訓練の日となった。
そしていよいよ本番の朝を迎える。青木は「熱っぽい」と体調の悪さを訴え、しかめっ面である。不穏な空気が小田に伝染したのか、いきなりスタートホールで失敗を犯す。青木が打つボールの前を横切ったのだ。キャディでなくともあるまじきマナー違反。タオルが手元になくクラブが拭けない。ショットがグリーンを捉えるや、青木は手を出す。すぐにパターを渡さなければいけないのに、それを忘れる。いきなり叱られ、励まされる。青木は最初のパットを3mもオーバー。「俺のせいだ」と小田は顔面蒼白。しかし、この3mのパットが入ってパー。小田は生きた心地がしなかったに違いない。
その後も青木のショットを見失ったり、同伴競技者に話しかけられて答えたタイミングが悪くて青木がボールを欲しがったときだったり、ピンを持つときにカップ近くに立ってしまいグリーンを凹ませたりとミスのオンパレード。相変わらずピンまでの距離の計算を誤り、叱られるばかり。クラブを運ぶときにガチャガチャ言わせ、バッグを立てないからスムーズにクラブを抜けない。
青木は自分のリズムを崩し、ショットを引っ掛けたりと「らしくない」プレーも出る。最悪は小田の癖である、ポケットに手を突っ込んで歩くこと。良くないマナーであることを青木に指摘され恥ずかしさでいっぱいだったろう。ましてやキャディは常に両手を開けておかなければならない仕事なのだ。
青木から「40%だな」と言われる。キャディの出来映えである。「40%は40点か」と嘆く小田。ボクからすればもっと低い点数に思えるが、青木の温情でもあるだろう。ようやく18番ホールとなり、パットを終えて終了。3アンダーだった。「すべて俺のせい。3打か4打はよかったはず」と悔やむ小田。この日、何度「クソ、クソ、クソ」と言ったことだろう。悔しいけど何もできない。しかし、キャディは明日も明後日も続くのだ。「少しずつ点数を上げていこう」と思う小田。生涯忘れることのできない屈辱の日となった。
それでも明日は良くしようと思う向上心が小田である。このままでは終わらない。負けてなどいられない。負けじ魂が小田の真骨頂でもある。そうしてこれまでたくさん訪れたピンチを乗り越えてきたのだ。青木はそんな小田の性格を読み取っていたのだろう。小田は「なんでこんなやつにキャディをやらせたのかって青木さんは思っているに違いない」とラウンド中も思った。しかし、青木はそんなことは言わない。人をなじることなど絶対にしない。青木もまたこれまで何度も訪れた窮地を持ち前のガッツで乗り越えてきた一匹狼なのだ。小田にキャディのOKを出したのは自分、自分がしっかりプレーしなければと思ったに違いない。それが青木功なのだ。ゴルフでは、すべての責任は自分にあるのだから。
バッグを担いで歩く。その決断がよかった
明日は今日の雪辱。そう思っていた深夜、小田は足が攣った。こむら返り。小田は前の年から体力強化のためにジムに通っていた。衰えてきた下半身を鍛え直していた。それなのに足が攣った。時差呆けからの寝不足が原因か、または慣れないキャディの緊張感がもたらしたものか。不安を抱える大会2日目となったが、青木には言わなかった。この日からカートを使わずに歩いてプレーすると前夜青木に進言、許可してもらっていた。青木はキャディ後にもジムに通う小田の体力を信じた。自分を信じている人を裏切ることはできない。
「今日は青木さんの横にぴったり付いていく」と小田は決心していた。スタートからカートを運転する手間がなくなり、時間的な余裕が生まれた。ピンまでの距離をすぐに割り出して伝えることができるようになった。相変わらずグリーンに乗った後にすぐにパターを渡すことを忘れるが、青木の近くにいる分、イライラさせることはない。青木の横を一緒に歩き話をする。小田の緊張感が解れ、青木のプレーにもリズムが出てくる。青木くらいの名手になるとゴルフはリズムがすべてだ。リズムが悪くなると微妙にスイングがおかしくなりミスを招く。リズムが良くなればショットが良くなり、アプローチやパットも冴えてくる。すべてが噛み合ってくるのだ。
小田との息がぴったりと合ってきた前半の最後から青木のバーディラッシュが始まった。パー5で2オン、タップインバーディだ。それからもどんどんバーディが出る。画面には小田の美しい歌が流れる。そう、まるで小田の涼やかな優しい曲のようなリズムで青木はバーディを重ねていく。とうとう首位に1打差。パー3でも絶妙にピンに絡めてバーディ。遂にトップに並んだ。この日だけで8アンダーの猛チャージ。63のスコアで11アンダーとした。
この日のプレーには青木と小田の二人だけの時間があった。他の選手やキャディがカートに乗って行き、フェアウェイに二人だけが取り残されたときがあった。小田はその時間がこの上もなく幸せに思えた。これがプロキャディというものかというかけがえのない時間だった。
首位となった青木は、当然プレスルームに呼ばれる。青木は笑顔でどんな質問にも答えた。「ショットが良ければグリーンで球が止まるんだよ」と英語で答える。「こんな素人にバッグを担がせて」と笑われもしたのに、今や初めてバッグを担いだ小田と優勝するかもしれないのだ。カートをやめて歩くことにしたことが功を奏した。昨日は「俺とお前」の関係が今日は「俺たち」、“We”の関係になった。小田の頑張りと青木の反骨心。感性の青木と理性の小田の融合がバーディラッシュを生んだのだ。
記者会見場から出てきた青木に小田は言った。「明日が怖いです」。「あんたが怖がってどうすんの?」。プレーをするのは俺だと言わんばかりの青木だが、小田の気持ちも十分にわかる。「まあ、よかったな」「十分です」に「バカ野郎」と言って笑う青木。「じゃあ、雷でも落とすか」。最終日が悪天候で中止になればこの日のスコアで優勝になる。孤独な者たちだけがわかる気持ちが友情となる。
3日目最終日、雷は落ちなかった。練習場で淡々と打つ青木に余裕が見えた。小田はそんな青木をわざと余裕を作っているのかもしれないと呟く。自分もコンサートの本番、それも大事な千秋楽で緊張をわざと和らげたことがあったのかもしれない。心を整える。スターだけが知り得る領域なのだろう。
青木はスタート直後に言った。「負けても勝っても悔いのない試合をしよう。良くても悪くても一生懸命にやりましょう」。自分に言い聞かせる言葉を小田に言った。もはや“We”、「俺たち」だ。青木のパットは昨日とは異なり、なかなか入らない。せっかくのバーディチャンスが前の組のスパイク跡に邪魔されることもあった。「なんでこうなんだ、チクショー」と思わず嘆く。ついていない。「このボール、捨てよう」と青木。勝負師はゲンを担ぐ。
小田は運に頼りたくない性格だ。ゴルフでも同様である。「ついてないと言ったら負け」と考えている。ミスを分析し、理性的に解決方法を見つけたい。建築家の心構えであり考え方だ。そうでなければ家は地震や台風で崩壊してしまう。ついていないのではなく、良くない原因がある。それを見つけ改善していく。
しかし、小田にもわかっている。ゴルフでは運が結果を左右することがあるということを。ミスショットしても運があればよい所に出てくる。良いショットをしてもディボット跡(穴ぼこ)に入っていることもある。突然、強い風が吹くこともあるし、ひと転がりでカップインすることもある。ゴルフに運はつきものなのだ。
ツキのないボールを捨て、新しいボールに換えた青木はすぐにバーディを奪った。その直後に首位にいたジョージ・アーチャーがダブルボギーを叩いた。まだまだ青木に優勝のチャンスはある。そんなときに小田は青木に渡すボールを間違えた。青木はボールに印を付けている。「・」と「・・」と「・・・」の3種類だ。これを1番ホールから順番に使っていく。つまり「・」は1番と4番と7番ホールで使う。9番ホールは「・・・」であるべきが、小田は「・」を渡してしまった。グリーンで「ボール違うじゃないか!」と青木。縁起を担ぐ青木にとっては嫌なことだったが、ボールを「・・・」に換えてバーディを奪った。小田はほっと胸を撫で下ろした。
勝負のサンデーバックナイン。ゴルフの試合は最終日最終ハーフで決することが多い。11番のバーディホールでショットを引っ掛け、寄らず入らずのパーとしてしまう。「ボギーと同じだ」。しかし青木は諦めない。13番のパー5でバーディを奪う。3位タイに浮上し、14番でもバーディを奪った。ここで青木は水を入れる。ミネラルウォーターを飲むやボトルを小田に渡して「飲め」のサイン。「びびっちゃダメだぞ」と青木。もはや同じボトルで水を飲む間柄。15番ではパットのラインを小田に読ませた青木。スライスラインと読み、青木はカップにボールをぶち込みバーディ。小田がピンを立てる。このときの気持ちはキャディ冥利、最高だったろう。2位タイとなった。地元のテレビスタッフが「勝てるぞ!」と声援を送る。
いよいよ残り3ホール。上位が落ちるのを待つのではなく、あくまで攻めて首位に躍り出ると決めている青木。気持ちは熱く盛り上がっている。ところが16番ホールでアクシデントが起きる。ティショットで右に擦り球を打ってしまったのだ。初日にこのホールで引っ掛け球を打った悪いイメージがよぎったのか。第2打は6番アイアンで低く転がし出すだけ。続く第3打では青木得意の5番アイアンでの寄せで勝負に出る。しかし少しだけ強く、下りグリーンを転がってしまう。3mオーバーしてボギーにしてしまった。16番は最後まで「俺たちにとっての鬼門のホール」となってしまったのだ。17番パー3で盛り返そうとしたが左に引っ掛ける。天下の宝刀、5番アイアンの寄せでチップインを狙うがあまりに強かった。連続ボギーだ。
「また一人でやっちまったよ」。青木は小田に言っていた。「ゴルフは結構いいんだ。ただポカをやっちまうんだよ」と。そして、寂しそうに呟いた。「終わっちゃったよ。勝ち負けのゲームが」。小田に返す言葉はなかった。その代わり、青木の尻をポンと叩いた。孤独を理解できるものだけがわかる、いいシーンだった。
最終18番、小田は正確にピンまでの距離を伝えることができた。5番ウッドから2番アイアンに持ち替えた青木。最後まで1打に執着するプロ魂。グリーンを見事に捉えた。歩く青木の手には小田がすぐに手渡したパターが握られている。大観衆が青木に拍手し歓声が湧く。手を振る青木。コンサートなら小田が聴衆に向かって手を振るところが、今日は黒子に徹し、悲しみと喜びを噛み締めながらグリーン脇を歩く。しかし、心の中は青木と一緒だった。ここまで戦ってきた誇りが胸を占めた。
「このパット、入れましょう!」と小田が青木を励ました。もはやこのパットが入っても優勝はない。それでもこのパットを投げやりに打ってはいけない。それもまたプロ魂。青木は慎重にラインを読んで打った。ボールは惜しくもカップの脇を通ったが、しっかりとカップを超えた。ショートだけは決してしない。カップに届かなければ永遠に入ることはない。だからしっかりと打つ。それが青木の心意気だ。
試合結果は首位と3打差の3位タイ。ホールアウトした二人に会話はない。言わなくてもわかっている。「勝ちたかった!」。互いの気持ちは痛いほどわかっていた。青木のクルマのトランクにバッグを入れる小田。最後の最後までキャディの仕事を全うした。喉は渇ききっていたのに、コーラを飲むことができなかった。初日が終わったとき、あれほどガブ飲みしたコーラを。
ゴルフの真髄は真の友だちができること
試合が終わってホテルに戻り、夕食に出かける。青木と小田とスタッフ全員が集まる最後の会食。お疲れさん会である。小田はすべてを終え、結果は優勝こそできなかったが、キャディという重責を果たせて嬉しかった。青木も小田をねぎらう。ビールを注ぎ、料理も取り分ける。青木は言った。「この話(小田がキャディをやりたい)が来たとき、やだなあと思ったよ」。小田は間髪を入れず「なぜOKしたのですか?」。青木が笑いながら言う。「チエがやってみろって。あんたにもいい経験になるって言うんだよ」。そうか、チエさんが勧めてくれたんだと小田は思った。ではなぜ、チエさんは青木のためになると思ったのだろうか。
それは結果がすべてを物語っているとボクは思う。素人の小田がキャディをすれば大変なことになる。しかし、それで投げる青木ではない。小田のせいだとならないようにきっと頑張るはず。それが青木の、おそらく慣れきってしまったツアー生活に刺激を与えるはずだと。勝っても負けても俺の人生にはあまり変化はない。若い頃、ジャック・ニクラウスと全米オープンで死闘を演じた、心が思わず熱くなるようなことはもう歳を取ってきた俺にはないだろう。そんなふうに思っていた青木の心に、今回の小田のキャディは再び火を付けたと言ってもいい。小田の前で下手なプレーはできない。テレビ局も注目している。青木功のゴルフを再び見せつけると。
結果はあと一歩だったが、首位に躍り出て、優勝まであと一歩という所まで迫ることができた。チエさんの予想は的中したと言っていい。それほどまでに夫、青木功を、青木功のゴルフを愛しているのだ。だからこそ、この無謀とも思える小田の申し出を受けましょうと言ったに違いない。
青木もすべてが終わった今、そのことを強く感じていたに違いない。小田との別れのとき、青木は小田に近寄り小田の首筋を撫でた。そして、握手をして言った。「また一緒にやろうな」。青木もまた小田とのコンビを「俺たち」“We”と思ったのだ。キャディ小田とのプレーを楽しむことができたのである。
たった1週間の選手とキャディの間柄が、これほどまでの深い関係になるとは、よもや青木も小田も予想はしてはいなかっただろう。いまや二人の間には友情が育くまれていた。青木はたったひとりでアメリカツアーを戦ってきた。小田もまたたったひとりでソロ活動を続けてきた。お互いに仲間はいる。しかし、戦場のど真ん中で戦っているのは自分だけなのだ。頼りになるのは自分だけ。そんな孤独がわかる青木と小田がコンビを組んだら、死ぬほど助け合うに決まっている。真の孤独がわかる二人だからこそわかり合えることがある。
かのゴルフの球聖、ボビー・ジョーンズは語っている。「ゴルフの最も素晴らしい所はかけがえのない友人ができることだ」と。それがマスターズトーナメントにもなったのである。しかし、青木と小田が一緒にプレーをしても友情が芽生えたかはわからない。選手とキャディとして3日間、ともに戦ったからこそ生まれ育った友情だった。もはや二人はかけがえのない戦友となったのである。ゴルフがもたらした最高の友情がここにある。
文:スポーツライター 本條強
Kazumasa Oda Tour 2025「みんなで自己ベスト!!」