★コメントタイプ:対談形式

★アーティスト:artist-0001,artist-0107

★対象:diary_03463

3月8日 水野良樹(いきものがかり)×小田和正「KATARI×BA」ゲスト出演


『HIROBA』
「他者と出会い、そこで共に語らい、ともにつくり、ともに考えることができる“場”を作り出したい」2019年からこのコンセプトと共に活動を続けてきた、水野良樹さんが主宰する“HIROBA”。音楽アーティストの垣根を超えて、様々な領域で活躍するスペシャリスト達との対談企画や楽曲制作、自身が手がける小説など多岐にわたる作品をこれまでに発表。この活動のひとつ「KATARI×BA」にゲスト出演。

水野良樹:
今日は来てくださって、すごく僕も緊張してるんですけれども、来てくださいました。小田和正さんです、よろしくお願いします。

小田和正:
よろしくお願いします。

水野:
楽屋とかではいつもいろんな話を聞かせていただいてるんですけど、こうやって面と向かってお話をさせていただくのがちょっと久しぶりで、振り返ると、約4年前ぐらいに小田さんと一緒に楽曲を作らせていただいて、そのときにスタジオで2人でお話させていただいたとき以来だと思っています。

小田:
うちのスタジオ?

水野:
はい。やっとアルバムが完成しまして。

小田:
かかったね。

水野:
かかりましたね。4年…なんかさっき楽屋で伺ったら、(小田さんが)「1年半ぐらい前じゃないっけ?」みたいな。

小田:
そんな感じだったけど、やっぱりコロナのせいってことだよね。

水野:
そうですね。なかなか制作も進まないところもあったりして、結果的に4年ぐらいかかっちゃったんですけど。小田さんと一緒に作った曲からスタートして、ここまでたどり着けたなっていうところで、今日来ていただけないかなと。4年前のこととかって小田さん、何か覚えていらっしゃいますか?

小田:
あんまり覚えてない(笑)。

水野:
僕は何か鮮明に…(笑)。半年間ぐらい事務所に伺わせていただいて、作らせてもらった記憶があるんですけど。

小田:
半年?

水野:
半年ぐらいありました。コツコツと。小田さんは普段曲作られるときは、そんなに時間をかけないですか?

小田:
かかりますよ。

水野:
半年ぐらいだと短いですか?

小田:
1曲半年だとちょっと長いよね。曲によっちゃ次回持ち越しみたいなのも含めて、1年2年おいてからまた始め直すみたいなことはあるけど。

水野:
僕がすごく印象的だったのは半年作った曲が、レコーディングの直前でボツになって(笑)。

小田:
そうだっけ?(笑)失礼しました。なんでだった?

水野:
ある程度出来上がってそろそろレコーディングスタジオ入ろうかっていうところで、小田さんの事務所の鍵盤の前でちょっと違うフレーズが僕が浮かんでちょっと歌ったら、小田さんがそれをピックアップして「そっちの方がいいんじゃない?」って。「それでもう1曲作れよ」みたいなことをすごくサラッとおっしゃったんです。普段曲作りをされる際も、今まで作ったものがぱっと変わる瞬間って結構あるんですか?

小田:
水野だからできるだろうと思ったんじゃない?俺、自分だったら「いいや、これで」っていうふうにね、しがみつくとこ、君は早いから。

水野:
いやいやいや!『クリスマスの約束』で委員会バンドでやるときも、小田さんはなんか素直に言ってくださるなっていうイメージはあります。「これはこっちの方がいいんじゃない」って。僕らはすごく、それにドキドキしてるんですけど。

小田:
言いやすいね、君はね。

水野:
それはすごく嬉しいです。今日はですね、「HIROBA」に関わってくださった方とか、それこそ小田さんと小田さんに呼んでいただいてる『クリスマスの約束』とかで出会った人たちから、小田さんへの質問をたくさん預かってて、それを一つずつ紹介したいなと思うんですけど。最初の質問はスキマスイッチの2人からなんですね。で、大橋卓弥さん(の質問)。「小田さんがこの曲は「いい曲」だなと思うときの一番のポイントは何ですか?これまでたくさんの曲を小田さんにプレゼンしてきましたが、小田さんが「この曲いいな」というポイントが未だに僕はつかめていないので、この機会に聞いてみたいです。」

小田:
散々否定してきたからな(笑)。

水野:
いつもスキマの2人とか、僕とかが小田さんの前に『クリスマスの約束』でやる曲目案を出すんですけど、なかなかOKが出ないという。

小田:
OK出したくてしょうがないんだけどね。なんか気持ちに妥協するのはね…。でも割と否定してんのは俺だけじゃなくて、大体俺と要が。俺と要vs水野&スキマっていう構図になってるけど。でも、大げさなことは全くなくて、言ってみれば好きか嫌いかだよね。嫌いってことないけど、いっぱい好きかちょっと好きか。やっぱりちょっと好きぐらいだとなかなか持続していくのは難しいかな。本当に好きな曲を選びたいから結構時間もなくてOKするつもりでミーティングに臨んで「よし、OKって言うぞ」って思いながらも聞いてるうちにちょっと後で後悔しそうなことも多々あって、散々否定してきましたけども。好きか嫌いかではないね。好きか、うんと好きかがあるか。嫌いなものは持ってこないと思うけど。

水野:
それはどんなところが好きになるんですか?

小田:
君たちも一緒だと思うけど、ぱっと聞いて、「いいなこれ、好きだな」っていう、それさえあれば持ってける。

水野:
一緒に曲を作らせてもらったときも、それをずっと小田さんが繰り返してらっしゃって。「ワンフレーズ歌っただけで「パァー」と広がるよう
なものがいいんだ」って。それがなかなか、そこにたどり着けない…(笑)。

小田:
人の曲でも「これなかなかうまくできてんな、考えてやってんのかな」みたいなね。 偶然行き当たることが多いよね、そういうことは。

水野:
シンプルっていうのがいつも難しくて。

小田:
シンプルじゃなくたっていいんだよね、良ければね。シンプルに越したことはないけど、「飽きない」っていう。いっぱい良い曲書いてんじゃん。ヒット曲っていうかね。

水野:
(小田さんと)曲作ってるときも、スタジオ入って、「リズムももうハットだけでいいんじゃないか」とか、僕はデモ作ってちょっと音数増やしたら、やっぱそうするとメロディーが見えなくなるからってどんどん外していくっていうか。それは何かやっぱり「シンプルに」っていう方向性なんですか。

小田:
俺がどんどん外した?

水野:
はい。

小田:
そうだな、入れることによって「また良くなったまた良くなった」っていう確信があればいいけどね。(曲が)良ければ楽器一つの方が良い場合がたくさんあるからね。いっぱい入れると同じになっちゃうからね。難しいよね。

水野:
難しいですね。なんか未だに今振り返ってあのとき力が入ってたんだなって思います。小田さんがあのとき言ってた「もうちょっと力抜けよ」とか、声を出すときも「張るな」とか、それが、その意味が4年前よりちょっとわかるっていうか。

小田:
俺も4年前よりはもっと幅広く受け入れるようになったと思います(笑)。大橋が持ってきた曲も今ならそれやってみようってなったかなっていうふうに思うね。

水野:
常田さんからの質問もいいですか?「光栄なことに小田さんとたくさんお話をさせてもらっていますが、そういえば普段小田さんがどのように音楽に触れているかをお聞きしたことがなかったです。小田さんが音楽を楽しむときはCDですか?レコードですか?ひょっとしてスマホやサブスクリプション、もしくはほとんど聴かないとかでしょうか?そういうふうに音楽に触れているときに何か次にあるヒントを無意識に探してらっしゃいますか。それとも純粋に楽しまれてますか?」普段音楽はどれぐらい聴かれますか?

小田:
基本的にはほとんど聴かないよね。昔は好きな曲をとにかく何回も何回も聴いて、ただ好きだから聴いてるっていうだけ。そこから何かヒントを得てやろうとかそんなこともなく。で、聴く装置としては、大体95%車の中だったな。今でもそうだけど。好きなものを聴いて「やっぱりいいな」って
思うっていうのが基本で、何か次のヒントになるものはないかな、とかそういう聴き方はほとんどないな。

水野:
例えば、この本は、この映画は、このCDは何かヒントになったみたいな、影響を受けたみたいなのってあるんですか。

小田:
いいなと思ってやっぱり心動かされたものの後は何か書きたいなっていう気持ちになってるから、そういうものに、作るちょっと前に行き当たっておくと、すごく入りやすいよね。でも入りやすいからすらっと書けるかっていうと、そういうことはほとんどなくて、入りやすかっただけで、いきなり止まっちゃうんだけど。でも、そういうのは望みが湧くよね。なんかいいの見て、「あっ、動いたな」っていうような、「できるかもしれない」っていう。

水野:
『クリスマスの約束』で和田さんとかと映画音楽をテーマに、2人でずっとセッションされてらっしゃるじゃないですか。映画音楽とかはやっぱり今でもヒントになるんですかね?

小田:
何でもヒントになるけどね。いっときは、バンドとかやってる頃はちょっとロック志向だったりすると、映画音楽っぽいものとかはやっぱり排除して、ストリングスもできるだけ入れないで、入れるならオルガン、みたいなことの方へ無理やり流れてたけど、だんだんロックじゃなきゃいけないとか、そんなこともなくなって、だから多いに映画音楽なんかにも影響される、され直すっていうか。

水野:
ご自身の曲は振り返ってそのときの音源を聴かれたりされますか?オフコース時代の曲とか。

小田:
すごく嫌だったのね。もう嫌なとこいっぱい知ってるから、失敗だったなって。それが見事によみがえるんだね、「これ嫌いだったな当時」ってやつは今も嫌いで。「余計なもの聴いちゃったな。なんか面白くないな」っていう気持ちに必ずなったから。ところがね、ここんとこ、ようやくちょっと平気になってきた。「まあ、いいか」みたいな。

水野:
それはどんな変化なんですか?

小田:
年取ったんじゃない?(笑)だから強くなくちゃいけないとか、そういうたがが外れたんだよね。まだ外れきってないかもしんないけど。

水野:
前にすごく印象的だったのが、60代のときの小田さんに『クリスマスの約束』の打ち合わせで会ったら、「ちょうど今50代ぐらいのときの映像をたまたまチェックしなきゃいけなくて見返しているんだ」っておっしゃったんですね。そしたら、「50代の自分が幼く見えた」っておっしゃって、スキマの2人で僕らは何かもう「すごいことを聞いた」みたいな。小田さんだって自分のことを振り返って幼く見える瞬間があるっていう。

小田:
その通りだよね。今はもう75じゃない?そしたら70なったときのもなんかちょっと恥ずかしいなみたいになるけど(笑)。まあ、50になって、「ああこういうことか、やっとわかったな」と思って60になってみたら、50になってわかったと思ってたことがまた全然違った。それはもう10年ごとにそれを繰り返してって最後までそうだって言われて、ああそんなもんかって思ったけど、まさに本当にそうだよね。やっと枯れたかな、この辺で枯れてきたなって良い感じに枯れたかなと思ったら、それまた10年経ってその頃見ると「全然青いじゃん」みたいな。それを君らに言ってもしょうがないんだけど。若い頃の邪念が見えるような絵が、邪念たって可愛いと思うんだけど、すごく嫌だね。

水野:
ちょっとよく見せようとしてたり。

小田:
そうそう。君はどうなの?

水野:
(僕は)小田さんの100倍ぐらいあると思うんですけど。小田さんのご年齢になっても、キャリアを積んでも、でもそれは小田さんだからこそなのかもしれないですけど、そういう瞬間があるんだって思うと、もっと頑張らなきゃいけないなっていうふうに思います。

小田:
頑張らないでもいいんだけどね。なんかやっぱりスカしちゃってるのはすごく嫌だよね。どうですか。

水野:
たくさんスカしっちゃったかもしれないですけど(笑)。

小田:
でもさ、いきものがかりの場合は、聖恵ちゃんがいるから男子がスカしちゃってても、聖恵ちゃんがいることによって中和されるものがあるような。男子だけのバンドだともうみんなスカしちゃって、なんかもう見苦しいみたいな感じになっちゃうんだよな。それは僕の偏見かもしれないけど。若いときからスカしてなかったらすごいなと思うよね。

水野:
でも難しいんじゃないですか?難しい。スカしてることに自分は気づけないと思います。今の自分でも気づいてないですし。

小田:
スカしちゃってるのはわかってもどうしようもないしな。

水野:
もう一つ亀田誠治さんから。「『クリスマスの約束』の小田さんのお手紙は有名ですが、小田さんが小田さんの言葉でアーティストにオファーするときに、どんな気持ちでしょうか?ハラハラ、ドキドキ、わくわく。そして水野さんから「HIROBA」のオファーを受けたときはどう感じられましたか?」最初にクリスマスの約束は小田さんがお手紙を何組かのアーティストの方々に書かれましたけど、あのときはどういったお気持ちだったんですか?

小田:
要するに僕は話したりするのがあんまり上手じゃないから、文字にして書けば「あれも言っとけばよかった」みたいことなく、ちゃんと言いたいことは全部書けて、言葉遣いも含めて、気持ちがその方が伝わるかなと。直接話すより。だから手紙がいいな、と。

水野:
なんであの時期他の人と繋がろうというか、一緒にやろうみたいなスタンスになったんですか?『クリスマスの約束』のスタートの経緯等も関わるかもしれないけど。どちらかというと、オフコース時代の小田さんって、特にオフコースというバンドもそうだけれども、「孤高のバンド」みたいなことを言われることが多くて、なかなか他のバンドと繋がってるイメージがなかったんですけど。

小田:
オフコースが解散して、その頃は誰とも交わりたくなかったんだよね。特に俺は人見知りっていうか、何か一緒にやるってことがとても億劫だったんだけども。で、誘われたりしたことは全部もう「いや、できません」って断ってきて。で、1人になって、自分1人じゃできないし、とにかく人と交わることから始めてみようっていうふうに思って、頼まれた曲をやったことないから、人に曲書いたことないから、やってみようと思って。マーチン(鈴木雅之)かな、「別れの街」を初めて書いて。(ほかのアーティストと)会う前はとにかく「あいつ嫌だな」みたいな、「好きくないな」みたいな。マーチンの場合はそういうわけじゃなかったけど、会ってみたら「こいついいやつじゃん」みたいな(こともあって)、それはとっても目から鱗でしたね。会うことは財産が一つ増えるみたいな喜びがあって、楽しいことだなっていうふうに思って、何か必ず得るものがあるなと思って。それで、(ほかのアーティストとの交流を)避けないで、できるだけ交わろうとしてきましたね、1人になって。

水野:
亀田さんが、「15歳の受験生のときの亀田少年は、大好きなオフコースの意味がoff course(コースを外れる)と知って、人生最大の勇気をもらいました。そのときから小田さんは僕の先生です。だからずっと追いかけます。」とおっしゃってます。

小田:
追いかけられても困るんだけど(笑)。

水野:
僕らもそうですけど、亀田さんの世代でさえ小田さんを聴いて育ってきたという人たちが、オフコースを聴いて育ってきた人たちがたくさんいると思うんですけど、そういうことを言われることについてはどう思われますか?

小田:
それはね、オフコースっていうと「女々しい、暗い」っていうのが浸透してたから、亀ちゃんみたいに「すごく好きだった」とか言ってくれる人はまず皆無だったのね。どうせ暗いと思われてんだろうな、どうせ女々しいって思ってんだろうなってそういう被害者意識の強い塊みたいなもんだったからね。だから、初めてだんだん「暗い」っていう世代から次の世代になってきたときに、そういう声が届いてきて、「そういう人たちがいたんだ」と、とっても嬉しかったですね。早く言ってよ、みたいな。

水野:
ちょっと次の質問に移りたいんですけど、wacciの橋口くん。「出来上がった瞬間をよく覚えている楽曲ってありますか。それはどのようなシチュエーションでしょうか?なぜ印象的だったのかも含めて教えていただけたら嬉しいです。」曲が出来た瞬間の記憶とかっていうのはありますか?

小田:
君はどうなの?

水野:
あるものとないものがありますね。

小田:
あるものっての結構あるの?

水野:
いくつか。

小田:
俺は本当に少ないけど、それがたまたま「言葉にできない」だったり。「言葉にできない」はいろんな偶然が重なって。オフコース5人の最後のツアーに向けてのアルバムを作ってて、それでほとんど出来上がって、もう1曲なんかまだ核になるツアーの曲が出来上がってないなっていう思いが強かったから、その頃はスタジオでリハーサルやって、で、レコーディングスタジオに入って「せーの」で録ってくみたいなやり方だったから、そのレコーディングのリハーサルっていうのを、もう最終盤でみんな帰って俺1人でちょっともう1曲考えたいからって言って言葉に頼らない、言葉を探さない曲ができたら強いなと思って、なかなか大きい旋律で、「ラララ」で歌っていいのかな、みたいな。それでいろいろ考えて、最後に言葉にできないのは悲しいときとか、悔しいとき、そしたら嬉しいときが最後に来たらいいなっていうことで構築してったら、なんかわくわくするぐらい上手いこと出来たんだよね。「ああ、これでツアー大丈夫だ」みたいに。すごくそのときのスタジオの景色を、わくわくした気持ちとともに結構覚えてますね。

水野:
そのとき何十年後もその曲を歌ってると思ってました?

小田:
いやあ、思わないな。たまたまコマーシャルで使ってもらって、それでコマーシャル使ってもらったときに、そんなに反響があるとは思わなかったけども。すごく上手に使ってくれたから、みんなに届いて。そのとき(リリース時)若い人、もしかして中学高校生だったその人が聴いて、いつかこの曲を、そういう仕事に就いて使ってみたいなって思ってくれてたって。で、そういう話を持ってきてくれて、「それはありがたい話だな」って別に思ったわけじゃなくて、「あ、そうなの、使ってくれるのはいいですよ」みたいな。そしたら、そういう反響があって、曲を選んでくれた人にはとっても感謝してますね。

水野:
オフコースの10日間武道館が1982年の6月で、それこそ「言葉にできない」を歌ってらっしゃいましたけど、その半年後に生まれてます。

小田:
本当かい?

水野:
はい、82年生まれなので。

小田:
そういうことがさ、もうどういうことなのかっていうのを理解できないんだよね。水野が生まれたっていう。それまではいなかったんだね。すごいなあ。

水野:
シンガーソングライターの半崎美子さんからですが。「学生時代に出会ってから幾度となく小田さんの歌の世界の中で深呼吸してきました。音楽に対して誠実であり続けること、そのエネルギーを、時を超えて輝きを放つ小田さんの楽曲から受け取り、自分の人生や音楽活動の糧になっています。小田さんの歌にはいつも続きがあるような、「また」があるように思えて、決して終わらない、終わらせない、そんな巡っていく希望を感じます。コンサートではもうこれが最後のコンサートなのではと思えるほどに長い花道を隅々まで、できるだけお客様の近くへ行き、会場全員で歌い、各地の風景や人々、動物たちとの出会いを大切になさっているので、出会いや再会について、小田さんはどのような思いをお持ちでいらっしゃるのかお聞きしたいです。」僕も小田さんの作品って、必ず次があるような雰囲気で、言葉が繋がってるような気がするんですけど、それは意識されてるんですか?

小田:
それは次っぽい楽曲が出てきて、それで振り返ったときに、次があったんだなっていうことじゃなくて、もう次がないうちから何か続編がありそうだなみたいなこと?

水野:
止まらない感じがするっていうか。例えばライブの最後でも「またね」って言ったりとか、「今日この日はこれで終わったー!」みたいな感じでライブのやり取りはいい意味でさらっと次に行かれるイメージが僕もあります。

小田:
要するに、これでお別れです、みたいなそういうプロモーションがあるじゃない。ラストコンサートみたいな、まずそういうのはとっても好きじゃないんだよね。それから何周年みたいなことも興味がないから、だからなんかサラサラっとしたものがぽっと繋がっていくように、変に区切らないから、そういうふうに思ってもらえるのかな。それで、昔から人と交わるっていうのは得意でなくて、避けて、喋らないし、いつか(TBS特番の)『風のようにうたが流れていた』でムッシュかまやつさんにゲストで来てもらったときに、「武道館のオフコース行ったときに楽屋で俺にシカトされた」みたいなこと言って、「えー!」と思ったけど、もうただとにかく交わるということが負担だからムッシュが「どうも」かなんか言ったんだろうね。愛想が足りなかったんだと思うのよ。先輩のムッシュにしてみれば、「何だよこいつ」っていう。当時とにかく、生意気だと言われてたんだ。それは挨拶しなかったからだと思うんだよ。 よろしくお願いします、とか言えなかった。ほんのちょっとしたことも言えなかったね。喫茶店でコーヒーを注文するのも結構億劫だったからね。それが交わることによって、「ああ、いい人だな」っていうふうに思えるようになってから、本当にそう思ったんだ。「ああ、あいついいやつだったな」、「思ってたやつと違ったな」っていうのは、大体ほとんど(のアーティストの場合)そうだったからね。出会うっていうことに関しては、とってもマイナスにしてきたなっていうふうに思ったね。もちろん今でも初めまして、みたいなの得意じゃないけど、絶対出会うことはいいことなんだから、っていう。で、再会するっていうのはやっぱりとっても楽しい、わくわくすることだよね。出会わないと再会できないからね。

水野:
シンガーソングライターの吉澤嘉代子さんという女性の方がいて、すごい物語的な歌詞を書かれる素晴らしいシンガーソングライターですけど、彼女が「歌い続けるためにしている健康法ありますか?」と。

小田:
ここんとこ(70代)へ来るまではほとんどそんなこと考えたことなかった。もう声出しもそんなにしないし、普段も歌うわけじゃないしここきたらやっぱり何か相当準備しないと声が出にくくはなってるけど、とにかく今まですごくいい加減だったなっていう。だから、「ああいう声を出し続けるためにどういうふうなことに気をつけてるんですか」って言われるたびに、「いやあ別にこれといって…。」って言って、なんかかっこつけてるみたいになっちゃったんだけども、本当に気をつけてやってるって言えるのは、コロナになったときに、病院行ったりして、こういうことが大事だ、声帯とはこういうふうになってますっていうのを初めて聞いて、そんなふうになってんだって、じゃあ、こうしなきゃいけないなっていうことをいっぱい聞いて、そのほとんどはできてないんだけども、もうどれくらい歌えるかわかんないけども、初めて大いに気をつけようと思うようになったね。

水野:
4年前に一緒に曲を作らせていただいたときも、僕の歌を指導してくださる中で、「自分も歌い方とか、歌の表現について真剣に考えたのはここ最近だよ」みたいなことおっしゃってて。

小田:
そうそう言った。

水野:
僕が小田さんに初めて会わせていただいたのが多分15、6年前なんですけど、この15、6年間でも僕らじゃなくて小田さんが変わっていってるっていうか、小田さんが何か16年間の中でもどんどん考え方を変えてらっしゃるのが。声に対する考え方だったり、体調に対する考え方であったり、こんなこと言うのはおこがましいかもしれないですけど、小田さんが進化してるのがすごい。後輩からすると。それこそかなわないなって思う。

小田:
要するに、これでお別れです、みたいなそういうプロモーションがあるじゃない。ラストコンサートみたいな、まずそういうのはとっても好きじゃないんだよね。それから何周年みたいなことも興味がないから、だからなんかサラサラっとしたものがぽっと繋がっていくように、変に区切らないから、そういうふうに思ってもらえるのかな。それで、昔から人と交わるっていうのは得意でなくて、避けて、喋らないし、いつか(TBS特番の)『風のようにうたが流れていた』でムッシュかまやつさんにゲストで来てもらったときに、「武道館のオフコース行ったときに楽屋で俺にシカトされた」みたいなこと言って、「えー!」と思ったけど、もうただとにかく交わるということが負担だからムッシュが「どうも」かなんか言ったんだろうね。愛想が足りなかったんだと思うのよ。先輩のムッシュにしてみれば、「何だよこいつ」っていう。当時とにかく、生意気だと言われてたんだ。それは挨拶しなかったからだと思うんだよ。 よろしくお願いします、とか言えなかった。ほんのちょっとしたことも言えなかったね。喫茶店でコーヒーを注文するのも結構億劫だったからね。それが交わることによって、「ああ、いい人だな」っていうふうに思えるようになってから、本当にそう思ったんだ。「ああ、あいついいやつだったな」、「思ってたやつと違ったな」っていうのは、大体ほとんど(のアーティストの場合)そうだったからね。出会うっていうことに関しては、とってもマイナスにしてきたなっていうふうに思ったね。もちろん今でも初めまして、みたいなの得意じゃないけど、絶対出会うことはいいことなんだから、っていう。で、再会するっていうのはやっぱりとっても楽しい、わくわくすることだよね。出会わないと再会できないからね。

水野:
シンガーソングライターの吉澤嘉代子さんという女性の方がいて、すごい物語的な歌詞を書かれる素晴らしいシンガーソングライターですけど、彼女が「歌い続けるためにしている健康法ありますか?」と。

小田:
ここんとこ(70代)へ来るまではほとんどそんなこと考えたことなかった。もう声出しもそんなにしないし、普段も歌うわけじゃないしここきたらやっぱり何か相当準備しないと声が出にくくはなってるけど、とにかく今まですごくいい加減だったなっていう。だから、「ああいう声を出し続けるためにどういうふうなことに気をつけてるんですか」って言われるたびに、「いやあ別にこれといって…。」って言って、なんかかっこつけてるみたいになっちゃったんだけども、本当に気をつけてやってるって言えるのは、コロナになったときに、病院行ったりして、こういうことが大事だ、声帯とはこういうふうになってますっていうのを初めて聞いて、そんなふうになってんだって、じゃあ、こうしなきゃいけないなっていうことをいっぱい聞いて、そのほとんどはできてないんだけども、もうどれくらい歌えるかわかんないけども、初めて大いに気をつけようと思うようになったね。

水野:
4年前に一緒に曲を作らせていただいたときも、僕の歌を指導してくださる中で、「自分も歌い方とか、歌の表現について真剣に考えたのはここ最近だよ」みたいなことおっしゃってて。

小田:
そうそう言った。

水野:
僕が小田さんに初めて会わせていただいたのが多分15、6年前なんですけど、この15、6年間でも僕らじゃなくて小田さんが変わっていってるっていうか、小田さんが何か16年間の中でもどんどん考え方を変えてらっしゃるのが。声に対する考え方だったり、体調に対する考え方であったり、こんなこと言うのはおこがましいかもしれないですけど、小田さんが進化してるのがすごい。後輩からすると。それこそかなわないなって思う。く好きだから、もっと団体戦だということをうまく表現できればいいんだけど、なかなかそういう器量もないし、曲も結局自分が結構選んだり、自分の曲をみんなに歌ってもらったりすることになっちゃうけども、もっと団体戦を表現したいなっていう。それがうまくいったのが、うまくいったって自分は勝手に満足してるのかもしれないけど、メドレーのときにこんなことができたなっていう。

水野:
あれは一生忘れられないですね。

小田:
団体戦を戦うには、格好の場なんだよね。みんなもそれぞれ団体戦を戦ってるっていう気持ちになってもらわないと、小田さんのお手伝いをしてるっていう、ついそんなふうになりがちだけど、みんなスケジュールとかいっぱいあるからね。とにかく、みんなに感謝してますね。

水野:
4年前に曲作ったときに、すごい印象に残っていることがあって。小田さんは覚えてらっしゃらないかもしれないけど、歌詞を書いてるときに、「お前と俺の違いは一つあって、水野は人と人とはわかり合えないと思ってるだろう」と。「俺はわかり合うと思ってるんだ」ってサラッとおっしゃったんですよ。そのときまだ僕もそこに踏み込めない自分がいて、ただ4年間「HIROBA」やって、それこそ、この人って僕のこと嫌ってるというかあんまりそりが合わないんじゃないかな、とか全然違うことを考えてるんじゃないかなっていう人とも一緒に曲を作ってみたりして、やっぱちょっとわかり合えた部分があったりして。小田さんが先ほどおっしゃってた通り、会ってみたらいいやつだったっていうので、小田さんの意識が変わってらっしゃった時期にもしかしたら自分も差し掛かっているのかもしれないっていう、お話を伺いながら思ってたんですけど、それっていい傾向ですかね?

小田:
いいんじゃないの?今すごくいろんなことやるじゃない。それで『クリスマスの約束』のときなんかでも、これ水野でやってもらうって(キャロル・キングの)「You’veGotaFriend」を日本語に訳して、水野にやってもらいたいって、喜んでやってくれるよ、みたいなね。

水野:
すぐふるんですもん!

小田:
いやいや、本当に世話をかけて…。よく頑張っていただきまして。

水野:
本当にたくさんお話伺わせていただいたんですけれども、最後に、今どんな曲を書きたいんですか?

小田:
もうそんなに何曲も書く機会はないと思うから、最後に一番いい曲をなんていうそんなときに、いい曲だないい曲っていうのは…。ちょっといい曲で、そんなすごくいい曲じゃなくてもいいから、何回聴いても飽きないなっていう曲。何回聴いても飽きないってのはすごく大変なことで、もっといいのはもう1回再生したくなる、みたいな曲を書きたいですね。

水野:
ずっと書きたいって思えるもんなんですか?

小田:
休むとできるかもしれない、俺の好きな曲ってこうだったじゃんっていう。こんな曲を書いてみたいなと思って始めた。それを始めた頃は器量不足でどうなってるかわかんないからたどり着かなかった。今ならたどり着けるかもしれないっていう気持ちがあるからね。

水野:
そういうお話を伺うと、やっぱりスキマの2人もいつも言いますけど、頑張ろうって思う。小田さんが頑張ってくださってる背中を見て、自分たちも頑張ったら自分たちがたどり着こうとしているものも近づくかもしれないって思える、その近づいていく姿を、小田さんの背中を見ることによって教えてもらってるから、後輩たちにとってはすごく励みになります。

小田:
そうですか。よく『クリスマスの約束』の打ち上げみたいなところで、大橋が「小田さんのことを考えると、あと30年あるんですよね。」って。ちょうど30違うと。お前と俺はいくつ違うんだっけ?

水野:
35ですね。

小田:
で、30なんてあっという間だぞって。本当にあっという間だからね。

水野:
小田さんと出会った頃は小田さんまだ還暦を迎えてらっしゃらなかったですから。50代でしたから、僕は23でした。大学出たばっかでした。

小田:
もうすぐ40なんだろ?

水野:
もう40になりました。

小田:
40になったのか。ひえ~。

水野:
ひえ~!ですね。だから10何年経ってるんですけど。それでも小田さんが曲を書き続けてくださってて、自分もまだ、後を追っかけられてるのがすごく幸せ。

小田:
君の場合はどうなっていくんだろうね?

水野:
わからないですね。

小田:
いっぱい書いてるじゃん、人に。なかなかバンドをやりつつ、人にそんなに曲書く人はいないからね。

水野:
でも、もうちょっと音楽勉強したいなと思います。

小田:
勉強っていうのはどういう意味で?

水野:
楽典も含めて。もうちょっと弦が書けるようになりたいな、とか。

小田:
書けますよ。

水野:
サラッと言うんだよな~。

小田:
いやいや、書きたいなと思えば書けるよ。

水野:
なんかそれをすごく今思ってます。今サラっと言ったのが5年後ぐらいに効いてきますね。

小田:
勉強はいいけど、好きな曲をいっぱい見つけるっていうのが一番の勉強じゃない?楽典は基礎としても。あの曲聴きたいなって思う曲がいっぱいあると、(例えば)昔の洋楽とか。すごく何か幅があるよね自分のなかで。で、ダウンロードして聴いたりして、やっぱりここんとこがいいな、みたいなのを確認するだけでもね、楽しいし。やっぱりこの曲好きだったなって思う気持ちね。

水野:
そういう意味では「好き」を探すというか、確認する時間が取れてないかもしれない。それはよくないかもしれないですね。

小田:
いや、いいんだよ。

水野:
優しい。

小田:
忙しいんだからしょうがないよな。忙しいんだろう?

水野:
多少忙しいです。最後カウンセリングみたいになってますけど(笑)。たくさんの質問に答えてくださってありがとうございました。アーティストの皆さんからのメッセージもたくさん、小田さんへのメッセージもいただいてるんで後でお渡しします。

小田:
ありがとうございます。

水野:
本当にありがとうございました。

小田:
一生懸命喋りました。

Kazumasa Oda Tour 2025「みんなで自己ベスト!!」