スターダストレビュー25周年記念ライフ・ゲスト出演。
小田さんと初めて会ったのは1996年の熊本のアスペクタというところでやった野外ライブでした。このイベントにはいろんなバンドが出演したんですけど、後半に僕らと小田さんがやることになったんです。僕にとってみれば小田和正と同じステージに立てる、やっと会えるみたいな感じでしたね。ただどうやら小田さんは一人でいらっしゃるらしい、しかも自分は弾き語りだからスタレビが最後にやってくれみたいなことをおっしゃってる、という話を聞いたんですよ。僕らとしてみればそれは「あ・り・え・な・い!」(笑)。小田和正の後に俺たちが出て行ったって何の威力もないもの…でも小田さん頑固な人だから退かないんですよ(笑)。そこで、じゃたとえばらに小田さんのバックバンドをやらせてもらえないかという話をしたんですよ。そうしたらいいよと言ってくれて。ついでに、もうこうなりゃ断られること覚悟で(笑)、僕らの選曲でやらせてくれないかという提案をしたんです。ホント申し訳ないけど僕らがやりたい、昔から聴いてたらの小田和正をやりたいなと思って(笑)。「眠れぬ夜」とか「水曜日の午後」とかちょっと昔のやつもやりたかったんで。それで僕らの音響のスタッフは歴代オフコースに関わっていたスタッフばかりなので、いろんなことを聞くわけですよ(笑)。気難しいとか(笑)。でも、全然そんな感じはなかったですね。人によって感じ方は様々だと思うんですけど、僕が思うには小田さんは気難しいのではなく、とってもシャイな人ではないかなと思いました。僕が小田さんとの10年くらいのお付き合いの中で思ったことは、小田さんって誰かと話す時は絶対に相手の人のことを考えて喋る人なんだなと思いましたね。だから相手のことよく知らないと喋ることがないんですよ(笑)。逆に少し打ち解けた後、僕らに話しかけてくれる時は、言葉の端々にすごく愛情を感じるんです。まあ、あの人はおべっかとかも嫌いだし、必要以上に話すのも嫌いだし…(笑)。あの熊本の時点では、僕らとの接点はほとんどなかったから喋ることもなかったんだと思いますね。
今回の25周年の感謝祭というのはスターダストレビューを聴いてくれている人とか、僕らの音楽を支えてくれている人すべてに感謝したいという気持ちがあっての大感謝祭だったんです。そこでここ10年で一番感謝する人は?って考えたら、やっぱ小田さんだった。誰もゲスト呼ばずに僕らだけでお客さんにちゃんと感謝の気持ちを伝えることも考えたけど、どうしても小田さんだけにはキチンと感謝したかったんですよね。僕が小田さんに対して何を一番感謝しているかというと、もちろん僕たちを大舞台に引っ張り上げてくれたというのも大きいんだけど、実はそれ以上にスタジオとか楽屋とか打ち上げの時とかに話してくれる小田さんの話が、すっごいためになるんですよ。音楽的な話はもちろん小田さんもバンド経験してて共通点もあるし、それから歳を重ねるということ。今自分に何が出来て、どうやっていったらいいかということ。僕は小田さんが語っているほんの一部しかわからないですけど、たとえば衰えてくるとか身体というのは現実に来るわけじゃないですか。それと戦うよりもどううまく受け入れていくかとか、僕も50なんで…そういうのを踏まえながら話してくれるんですね。小田さんが僕に言ってくれた言葉の中に、最近になってようやく理解できてきた言葉というのがいくつかあって、その中の一つに「スタレビくらいの年齢のやつが、ちゃんと下の奴らをまとめていかないとな。音楽をちゃんと塊で伝えられるようなことをしてあげないと」とおっしゃってたんです。僕らは全然そんな場所にいると思ってなかったし、そんな偉そうなことできるバンドとは思っていなかったけど、気が付いたら結構若い奴らが僕らのところに挨拶に来ているんですよ。それで気付いたんです、あ~そうかって。僕らは大したことしているわけじゃないけど、でもたとえばライブをやったりアルバムを出し続ける、そういうことによってきっと若い奴らは何かを感じてくれるんだろうなって。だったらちゃんと自分達にできることを伝えていかないとな、と。小田さんは結構いろいろなところにゲストに出たり、またゲストに呼んだりとかすごくたくさんなさるじゃないですか。ここ10年の小田さんのひと言ひと言が、俺の中ではすっごい血となっているというか…これは小田和正というミュージシャンに出会えたという感しさとは別で、まったく予期してなかったことなんですよ。だってそんなことを人から学ぶなんてことはないと思ってたから。たとえばインタビューとか読んで勝手に理解して、あ~そうだそうだなんて思うことはあるとしても、たまたま近くにいて、わあすっげえ~!なんて生き方をしてる人に40過ぎて出会えるとは思わなかったからね。音楽的にもそうだけど、人間的にいろいろ学べてとっても感謝しています。そしてその96年のイベントの次に小田さんと共演したのが、小田さん本人もすごく印象に残っているという、あの98年の「海の中道」でのイベントですよね。あの時は泣いた泣いた本当に…最初に思ったのは熊本でやったことをまたやれるんだという喜びだったんです。熊本の時はまだ「オダレビ」なんて名前は付いてなかったと思うけれど、今回はスタレビと小田さんのバンドも加わってのジョイントライブ。といっても僕らはただの前座でいいと、そのくらいの気持ちでしかいなかった。でもその企画が上がった時に、小田さんがまたもや自分たちが先に出ると言い始めて(笑)。あり得ないことですよ、本当に。またか、この小田和正!って思ったんですけど(笑)、今回は熊本の時とは違ってお互いバンドだから「ひとりだから」なんて言い訳は立たないはずだと思ったら、今度は小田さんが「明るいうちにやりたい!」なんてわけわからないこと言い出してね(笑)。何言ってんだこのオヤジ、みたいな感じだったんです(笑)。そしてそんな話がまだ煮詰まらないうちに小田さんがあの事故に遭われて…僕はミュージシャンだし、ステージに立つのがどれほど大変かわかるから、どうなっちゃうんだろうなと…事故の細かい情報も入ってこない時に週刊誌に載ってたつぶれた車を見て、これじゃあ無理だよなと半ば諦めていたんです。ところが「小田さんやれるかも」って…確か僕らが小田さんたちのリハーサルしているスタジオに行ったんですよ。小田さんは痛々しい姿だったんですけど、ただまだその時は顔を見て正直涙を流せるほどまだ仲良くなってないというか。何て言うかな…あの会った時の画はよく覚えているんだけど、ライブのことよりも、あ、小田さんここにいてくれた!というような感じだったですね。変な話ですけど、たとえばこの事故を機にリタイアしたとしてもおかしくないくらいのところまで登って来ちゃってる人ですからね。でも本当に痛々しかったなあ。ギターとかもうまく背負えない状態で。それでも、どこまでできるかわからないけどとにかくやろうという話になって。とは言っても小田さんは同じ事をやるというのが嫌いな人で、常に進化を求める人だから。でもその時点でも小田さんは自分が先にやると言いはっててね…(笑)。それで結局いろいろ話し合った結果、小田さんのアイデアで最初に全員で出て行ってアカペラやろうということになって、「YES-YES-YES」と僕らの曲を、何だったっけな…1曲やったんです。その後の小田さんのステージを袖からメンバーと見てました。何かうまく言えないですけど、ステージを見ながら何か、こうすっごい感情がわき上がってくるんです。強く感じましたね。うちの歴代のキーボーディストはみんな小田さんの大ファンなんです。だからあの時の光田なんてステージ見ながらワンワン泣き出しちゃって、もう大変でしたよ(笑)。でも正直僕はあまり気を遣いすぎると、せっかく小田さんが歌っている歌がちゃんと伝わらなくなっちゃうような気がして、やっぱりここで小田和正が歌っているということ自体が、事故後だろうが何だろうが僕にとっては最高の喜びなんだと…だから何となくここは笑いにしていった方がいいのかなと思ったんです。それでリハーサルの時に「パイナップルプリンセス」という曲をアロハ着てウクレレでやりたいんだと企画したんです。ただ小田さんアロハ着てくれるかな?…ウクレレなんて持たないだろうな…なんて思ってましたけど。でもたまたま事故後で弱ってたから(笑)、今だ!と思って(笑)。たぶん元々小田さんってそういうこと嫌いな人じゃないと思うんですよ。きっかけがあれば、必要ならやるんじゃないかなとその時思いましたね。だって当日はすっごく普通にアロハ着てましたよ(笑)。安いアロハだったけど、あのあたりからは小田さんと一緒にできることと、できないことが見えてきましたね(笑)。やっぱり歌というものに対しての探求心…これもこの前小田さんが言ってたことなんですけど、「歌を探求してばかりいる」と言うんですよ(笑)。それを聞いて小田さんのすごさが少し理解できた。極めていくことのおもしろさ、突っ込んで突っ込んで行くうちに見えてくる真理、でもその真理はすべてにおいての真理ではなくて、きっと小田さんオリジナルの真理であって、そして必ずそこに到達させようとする人なんだなと。だから絶対滲まない色があるというか…小田さんの歌はその曲すべて、一音一音しっかりと気持ちが行き届いているんです。小田さんはすごい高いところにいる人だけど、特にシンガーという意識がすごく大きいと思うんです。僕なんかそのあたりがすごく曖味なんですよね。もちろんシンガーとしてだけではなく、さっき話したけどギターがめちゃくちゃ上手いのもやっぱり極めちゃうんですよ。いい加減に弾いたりしないしね。小田さんがアコギが上手いのは昔から知ってたけど、エレキは何となく手持ちぶさただからかなと思ってたんです。で、いざオダレビとかでやったやつを聴いていると僕のギターじゃないギターがむちゃくちゃ格好良く入っているわけ。あれ?俺これ弾いてないぞ?と思うと、それは小田さんが弾いてるやつなんですよ。すごい上手ですよ。エレキの時もアコースティックギターの弾き方じゃないんですからね。あ~やっぱりこの人はこういうところまで行かないと気が済まない人なんだなと。歌いながらいとも簡単にやっているように見えるけどね。エレキでああいう風に弾かれちゃうと、俺のギターいらないかなと思っちゃいますよ。それに間違わないんだよね、これが。僕なんかAマイナーのところをEマイナー押さえちゃったりするけど、そういうのがないんですよ。もう悔しいくらい(笑)。
また話は変わりますけど、小田さんみたいに日本語をしっかり歌える人もいないですよね、珍しい人ですよ。いつも言葉がちゃんと伝わってきて、うらやましい。…「個人主義」というアルバムのレコーディングに参加させていただいた時、「the flag」の歌聴いててジーンときちゃったんですよね。言業だけじゃなくて、その思いまで伝わってくる。小田さんとお話するようになって、僕に何となく「時代とか世代とかを表せるような曲を書きたい」と言っていたんですよ。それで聴いたのがあの曲…これすごい数だなと思ってね。「旗」という象徴的なものを作って、そこに自分の気持ちを乗せてメッセージを伝えるという…小田さんの曲って、もちろん歌だけ聴いてその声が大好きだという人もたくさんいると思うけど、たとえば詞の解釈とかを考えながら聴くと、小田さんみたいに探求し続けてる人のことはさらに深く楽しめるんじゃないかなと…あの「the flag」はガツンときましたね。
そして今回の25周年用に小田さんと作った楽曲ですが、これはもう100万回くらい語りたいくらいです(笑)。あれはスーパーアリーナのリハーサルがいい感じで煮詰まってきたころ、僕ら6人での最終リハーサルの時でした。「トワイライトアベニュー」のアカペラバージョンというのがあるんですけど、これを、小田さんも入ってもらうことで、今回のオダレビの新しさにしようと思っていたんです。新しいことやらないと小田さん許さないから(笑)。それでその曲の譜面作って小田さんに渡して…ずっと練習していてくれたらしいんです。ただね、思い起こすと小田さんがゲスト出演をOKしてくれた時、何か新しいことをやろうとも言ってたんです。で僕は新曲とか作りますか…なんて言ったんですけど、そんな時間はないだろうということになって。実はその時から小田さんは新曲を書こう、いや作れるなら一緒に作ろうと考えててくれたんじゃないかなと思うんです。僕も新曲みたいなものがあれば一番いいなと思ってたんだけど、やはり時間的に無理があるかなと思って。そうこうしているうちに僕ら6人でやる最終リハーサルの日、突然小田さんがいらっしゃって…本当にいきなりですよ(笑)。そこでが「あれ?小田さん、今日は違いますよね…」と言ったら「おお、ちょっと様子見に来たんだよ。どうだ?」と言って。そしてさらに「せっかく25周年なんだから、今までの楽曲でお茶濁すようなことはしないでさあ…」と。こっちはお茶濁してるつもりはないんだけど(笑)。「どうせだったら新曲をやった方が早いよ」となって…でも時間が…なんて思ってたら小田さんが「一応詞は書いてきたから」と言って…そしてうちのメンバーに「ちょっと要、借りるぞ」と言って僕は別室に拉致監禁されたんです(笑)。リハーサルやらないと間に合わないのでメンバーだけでリハーサルやってね…実を言うと僕らも同じような試みをしようと思ってたんです。せっかくだったらファンの人に今までありがとう、これからもよろしく、という新曲を作ろうと。ところができなかったんですよ。みんなでこういう曲を作ろうよとか話し合って、それぞれメンバーが書き綴ってきたんですが、それが今イチでね。ところがこの小田さんの詞を見た時に「これだ!」と思って(笑)。もう僕らがやりたかったことが全部完璧に書いてあるんですよ。ビックリというか…この詩でちょっと歌ってみろって言うからギターを持ってきて。小田さんを前に何となくは二人のオフコースのイメージがあって、Aメジャー7がいいかなと思って弾いたら、小田さんはひと言「Gだな」と(笑)。何だ決めてるんじゃない、なんて思ったんですけど(笑)。その時は不思議なことにいろいろなことが割とスッと出てくるんですよ。それは横に小田和正がいて、小田和正の詞で…そうすると何か俺自身も小田和正になってくるみたいなね(笑)。それで試行錯誤してようやく出来上がった時、小田さんに「ちょっと今までのところ歌ってみて」と言われて歌ったんですが、小田さんが「この部分が俺は気に入らないな」と言うところがあったんです。僕はそこは結構気に入っていたところなんですけどね。そして「こういうのどうだ?」と言って小田さんが歌い出したんですけど、それがまた絶妙に良くてね…もうまさに小田和正!っていうメロディなんですよ。うわあ~これ来たか…みたいな感じで。もうそこが入ったから曲全体がビシッと締まりましたね。曲を創る時に一番気にするけどなかなか出来ないところを、小田さんのメロディがスッと持ち上げてくれた感じかな。そしてもう1回歌い「よし、これでいいだろう」と約2時間で完成させました。そして小田さんは「じゃあこれメンバーに伝えておいてくれ。俺はこれから次があるから…」と言って去っていったんです(笑)。こっちとしてみれば「え~~?!」って感じですよ…これ本当の話です(笑)。曲を作っている間もスタジオのドアが開くたびにリハーサルの音が聴こえるんですよ。その度に「あっ、急がなきゃな」なんて気を遣ってくれてたりしてね(笑)。
本当に僕がやりたかったこと、できなかったことを、小田さんがらに突きつけてくれた、しかもほぼ完成している詞を持ってきてくれたという…僕らが何故あのコンサートをやりたいと思ったのかという答えがあの1曲に集約されましたね。あの歌を一緒に歌って、この10年間で一番お世話になったということ、それをちゃんと小田さんに示すことができたかなと思ったら、終わった瞬間に涙が出てきちゃってね…本番の日諸面見ながら歌ってて、2コーラス目が終わってエンディングが近づき、もう完璧だなと思ってフッと小田さんを見た瞬間からもうグッときてしまって…。最後の方は声になってないんですよ。そして曲が終わった後、小田さんがひと言「スタレビこれからもよろしくな!」と言ってサッと去って行ってしまって…もうそこからワァーとなってしまい。何だよこれは?やられたというか、あんな風に人のことを祝えるなんてないよ…あのライブが終わってからしばらく経つけど、ものすごい数のメールや手紙をもらったんです。そしてその9割以上が小田さんのそのひと言にやられた!という内容でしたね。ああいうお祝いの仕方って、たとえどんなメッセージを投げかけられるよりも心に残るというか…一緒に曲を作って一緒に歌ってくれて、それで最後に「スタレビをこれからもよろしくな!」でプイッと出て行ってしまう、こんなキザなことないよね(笑)。何とかして思返ししたいと思ったりするけれど…それはきっと小田さん自身にお返しするのではなくて、僕らのあとの世代であったり、そういう人たちにいろんなことを伝えていくということが一番のお礼なのかなと思ってます。
STARDUST REVUE:根本要
KAZUMASA ODA TOUR 2008"今日も どこかで"