★コメントタイプ:ひとり語り

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★対象:diary_02512

TBS「クリスマスの約束・2006~message」放映。


「クリスマスの約束・2006~message」

 今年は、メッセージということを考えながらすすめていきたいと思ってます。僕は風のように流れていた音楽に多くの影響を受けてきました。それはきっとそこにメッセージが託されていたからです。音楽を作る人たちは、何かを伝えたくて音楽を書きます。積極的に何かを深刻に訴えようとすることもあるし、ただ楽しいんだということを気楽に表現することだってあります。その音楽たちが僕に音楽を書くことを教えてくれました。そして自分でも気づかないうちに、きっと、その時自分に伝わったメッセージも僕の中を通っての僕の書く曲に登場するのです。




★コメントタイプ:ひとり語り

★アーティスト:artist-0309

クリスマスの約束・2006~message収録現場レポート


 「りんかい線」の「国際展示場駅」を降りて「有明コロシアム」を目指す。でも方向が分からない。こういう場合、人の流れにくっついていけばいいのだけど、僕の前を歩く三人も迷っている様子。その時、目の前に"コロシアム・ブリッジなる大きな歩道橋の入り口を発見する。これ渡ればいいんだろう。じゃなかったら、こんな名前はつけないし……数分後、無事到着し、場内へ。「ここと似た会場、どこかにあったなぁ」と思ったら、取材で何度か訪れたことがある「香港コロシアム」だ。座席数が1万人くらいなのも一緒だ。スタンド席は勾配がけっこうキツくて、ステージから見上げたら、お客さんに包まれてるみたいな感覚になる。ちなみにここはテニスの国際試合が行われるところとして有名で、日中、陽の光のもとで試合をやってる印象も強く、なので今回は、小田のかつての冬のライヴのタイトルを借りるなら、”ちょっと寒いけど…”も覚悟していたのだが違った。屋根は開閉式。もちろんこの日は閉まっていて、開演時間にはぽわーんと暖房が。
 さてクリ約といえば、オープニングを飾るのが番組プロデューサーの阿部龍二郎さんと服部英司さんによる"前説”だ。この番組の継続に関しては、「今年はやめようかと」と、そんな言葉が…。去年もそんなこと言ってたような気がするが、それだけ真剣に、妥協せずに小田と毎年“向き合っている”ということか。でも例年よりあっさり目なトークで終了(小田に“余計なことまで喋るな”とクギをさされたのかもしれない)。色々なゲストが来てる…、こんな人達も、と、そう紹介すると…、なんと最初に出てきたのはTBSの看板番組“渡鬼”の五月役、泉ピン子と勇役の角野卓造。お馴染みの『中華 幸楽』の衣装だ。角野は小田の大ファンで、そんな彼のために、泉ピン子が“生の歌をなんとか聴かせたかったのだとか…そして彼女が、「私は小田さんと同い年」と言うと、なぜか会場からざわめきが。
 大歓声のなか、小田が登場する。この番組に出演する時のトレードマークといえば帽子だが、今年は茶色だ。ピアノの前に座り、映画『手紙』のエンディングに使われ、新たなファンを生んだ「言葉にできない」を歌う。伴奏は金原千恵子ストリングスの皆さん。小田とはレコーディングを通じてお馴染みだ。
 そして今年のクリ約のテーマが「メッセージ」であることの説明に入る。「音楽を作る人達は何かを伝えたくて曲を書く。深刻な訴えの時もあるし、ただ楽しいんだということを気楽に表現する時もある。それらの音楽が自分に音楽を書くことを教えてくれたし、自分でも気づかないうちに、その時伝わったメッセージが僕の書く曲のどこかに登場してるのかもしれない」勝手に要約させて頂いたが、小田のこの言葉を聞いてて、今年の趣旨が何となく分かった。世の中には「メッセージ・ソング」という言楽もあり、社会の矛盾を歌ったりしたものをジャンルとしてそう括る。でも小田は、歌の中の「メッセージ」の在り方を、そんな狭義に捉えようとしているのではなさそうだ。
 それは、今年まず最初に取り上げたのがレミオロメンの「粉雪」だったことからも察せられる。小田の歌でこの名曲が聴けるとは…。いきなり”クリ約ならでは”の醍醐味全開だ。
 アコギを持ってセンター・マイクへ。歌う前に「骨太な曲」と評す。あまり小田から聞かない表現だ。バンドはお馴染みの面々。久しぶりにベースは山内薫である。レミオのボーカルの藤巻亮太の歌うオリジナルと、小田の歌ではニュアンスが違う。特に”♪こなぁ~ゆき~”のサビのところ。主人公の心情が乗り移ったかのような藤巻と違い、小田はどこか、雪の情景も俯瞰で示すかのような感覚。歌い終わった小田は、さらに大切なことを言った。「どんな曲にもメッセージはある。そこに記されたメッセージと、聴く人のその時の気持ちが重なって、音楽は完結していく」「何がメッセージで何がメッセージではないのか」ではなく「どのような時、歌はメッセージと成り得るのか」だってことを理解した。「いい歌」とは、すなわち「伝わる歌」だ。そして、次に取り上げたのは尾崎豊の「I love you」。聴きながら、個人的な想い出も蘇った。僕が彼の死を知らされたのは、ちょうど武道館で小田のコンサートを観終わった後のことだった。それは前年に始まったツアーの千秋楽だったと記憶する。その尾崎がデビューした時、「凄いヤツが出てきましたよ」と、小田にテープを聴いてもらったこともあった。その場で歌声に耳を傾けてくれた小田は、「力のある歌を書くやつだ」とボツリと言った。今から20年以上前の話だ。場内の雰囲気がガラリと変わる。最初のゲストは「いきものがかり」。1999年に高校の同級生だった水野良街と山下穂尊によって結成され、そこに同級生の妹、吉岡聖恵が加入し、地元の海老名や厚木を中心に路上ライブなどを重ね、今年春、見事にメジャー・デビューのチャンスを掴んだ三人組だ。でも、なぜ彼らだったのか。それはある時、小田の耳に彼らの「SAKURA」という歌が、確かに届いたからに他ならない。リハの時もこの日も黄色の衣装の吉岡に、「黄色が好きなの?」とファッション・チェックすることを忘れない小田(理由はリハが上手く行ったゲン担ぎなのだとか)。歌い始めると、CDより豊富な色合いを感じさせる声で、迫力満点だ。デビュー直後とはいえアマチュアでは7年のキャリア。しかし最近の若者は物怖じせずに堂々としてる。三人を送り出し、「ツナギで自分の曲やります」と歌い始めたのが「忘れてた思い出のように」。「まわりの人達への感謝を素直に伝えようとして作った」とコメント。収録ということもあり、場内のちょっとカタい雰囲気を察したのか、ステージの下手へ、そして上手へと、お客さんの方へ歩み寄り、手を振り、リラックスさせようとする小田。でも、自分の曲を「ツナギ」と表現するのは、番組のホスト役であることを意識してのことなのか、はたまた…。まさか最近他人のイベント出演の際によく口に出す”なるべく俺の曲は少なめに”作戦では……。いやそれは困る。クリ約の主役は小田和正なのだから(でもこの夜は、この後も「ツナギ」が会場を大いにかす事に…)。「ちょっと長く喋る」と、自らが関わったチャリティ・コンサート「日本をすくえ」や、apbankを立ち上げた小林武史や櫻井和寿のこと、今年、小田自身が参加したそのapの野外フェスのことなどを話す。そして「僭越ながら応援の気持ち」と、そのapのイベントのテーマとなった「to U」を取り上げることを説明する。オリジナルはsalyuと櫻井が歌っていて、apのフェスでは最後に出演者全員で歌った曲だったが、ここでデュエットの相手として選ばれたのが、松たか子。このあたりから、センター・ステージも使いながらのパフォーマンスに。でもその前に、「『クリスマスの約束」ではCDのプロモーションはさせないというプロデューサーのお達しを無視して」と小田がコメントし、松の新曲「みんなひとり」(竹内まりや作)をワンコーラスだけ披露する。きっと、この"お選し”は番組の選曲に大きな影響を及すずだ。世の中、11月後半になると"クリスマスめいた”内容の曲が増える。しかし、そういうものが安易にこの番組で取り上げられることは今後もないのだろう。
 歌い始めると、やはり凄い。テレビはもちろん、舞台でも大活躍する松は、揺るぎない存在感を見せつける。「君は緊張したりするの?」。そんな小田の質問に、「小田さん、前にも訊いてました」とツッコミを入れる。あれは武道館にゲストで来た時だった。でも、小田がなぜ二度もそう訊ねたのか、その心理を探ると、おそらく本番になった時の松の見事なスイッチの入り方を目の当たりにすると、ついついそう訊ねたくなってしまうからじゃないのだろうか?いや、あくまで推測ですが。そしてさっきから話題になっていた「to U」を。自然との共生を問いかける櫻井和寿の歌詞が素晴らしい。しかしさらにもう一曲、小田がかってプロデュースした「ほんとの気持ち」を、時のレコーディングにまつわるエピソードを紹介しながら披露することに。当時、小田の求めになかなか応えられなかった松は、スタジオで涙を流したという。でも、こうして快くゲスト出演するのだから、その後の両者の関係は悪化の一途、だったわけじゃないのだろう。小田は松に当時ではなく今現在の自分の印象を訊ね、松も変化していったと本音で話す。そして、ついにはこの言葉を引き出したのだった。「小田さん、大好きです!」。でも、言わしておいて照れる小田なのだった。ここでスクリーンに、今年のクリ約の候補曲の練習風景が映る。確かその中にBOOWYの「マリオネット」があったと思ったが、これはとっても意外な曲だしフル・コーラス開きたかった。上手く歌えた自分に拍手したり、途中で間違って”あぁ~”と天を仰ぐその姿は、番組への小田の澱みない真摯な姿勢を一瞬にして伝える。事務所の廊下の壁(?)にぽつんと座り込んでるシーンは必見(あんな場所でも練習したのだろうか…)。その後、「つい最近聴いていいなぁと思った曲がありました」と、熊木杏里の「新しい私になって」をちょこっと披露。“本日私はふられました”から始まる、CMで話題のあの曲だ。次のゲストは、小田と同時代を歩んできた斎藤哲夫(歳は小田のほうが三つ上)。「この番組をやり始めてから、いつか来て欲しかった」。そんな小田の熱い願いが叶っての登場だ。でも斎藤は、見るからに緊張している。まずは、彼の曲のなかでお茶の間でも親しまれたという意味では一番有名な「今の君はピカピカに光って」が流れる。この曲はカメラのCM曲として大ヒットし、スクリーンには、当時宮崎美子が出演したCMも流れる。そして小田が熱望した「悩み多き者よ」を歌う。斎藤は右手で拳を作り、それを小さく振りながら、一言一言を大切に歌っていく。この作品が発表されたのは1970年。この歌によって斎藤哲夫という存在が世に知れ渡ったといっても過言じゃない。小田は歌に衝撃を受け、作者が若干19歳だったことにも驚いたという。
 60年代後半から70年前半の、いわゆるフォーク・ムーブメントの中で登場した斎藤は、ニューミュージック全盛になってからも活躍し続けた数少ない一人だ。そんな「彼のポップな面を取り上げたい」と、次は「グッド・タイム・ミュージック」。ちなみにこの人、他にも名曲がたくさんある。「されど私の人生」「バイバイグッドバイサラバイ」なども有名だ(確かご実家は食堂をやってた筈で、個人的には「さんま焼けたか」という歌が好きなのだが…)。現在も音楽活動を精力的に行っており、ホームページを開けば、コンサート情報などもキャッチ出来る。斎藤の話で印象に残ったのは、「当時の自分達はエイト・ビートに言葉を乗せることに苦労したけど、今のアーティスト達はそれを苦とは思わずさらに沢山の事を伝えている」と言ってたことだ。これには小田も頷いてた。でも、もし逆のことを言うなら、当時は不器用な歌も多かったが、それゆえ心に残るものも多く、最近はとかく達者だけど、ただそれだけに終わってるものも少なくない、ということか……。
 いよいよ番組も佳境である。次のゲストはスキマスイッチ。常田真太郎のアフロ・ヘアが見えただけで、なんか会場が和む。でも、ただゲストで登場しただけではない。2003年のゆず同様、クリスマスの曲を共作するという、そんな趣向だったことが明かされる。ゆずの時は、その日に速攻で曲の骨子を固めてしまったわけだが、今回は「リズムだけ決めて、キーはわざと決めないで、それを後で突き合わせて」というやり方が取られた模様。そんな両者の創作風景のダイジェストが流される。ドキュメンタリー映像に酒脱なナレーションが加わったもので、会場は大受け。プロの演出の底力を見る想いだった。どのキーで作っているのか相談しなかったのに、偶然同じキーで作ってて、それじゃ面白くない、みたいなやりとりとか、スキマの大橋卓弥が「ここから小田さんに渡そうとおもったんですが…」と投げかけたり、コード探しに没頭してキーボードから離れない常田真太郎に「それよりも…」と、別に優先すべきことを小田が提染したり…。最終的に歌詞を書くのが早い常田が、その前評判通りに書き上げ、無事に曲は完成した。で、曲タイトルは、今、この場で発表されることに。小田に促されて、常田が発表する「“僕らなら”、に、しました」。彼が発表したので彼が考えたものだったのかもしれない。この作品、“溶けないで”とか“届け”という歌詞があったような…。情景だけじゃなく心象風景も丁寧に描き込まれた、完成度の高い楽曲だった記憶がある。さらにもう一曲、スキマスイッチの曲から「全力少年」を。スキマの歌で「俺が歌えるのはこの歌だけなんで」と小田。でもその前にスキマとの年齢差の話なんかもあり、もし二人が小田の歳まで音楽を続けたら…、みたいな話題も。でも、そんな歳になってもこの「全力少年」を歌っていられる存在であって欲しいと、小田がエールをおくる。二人はこの言葉に感激していた。
 スキマを送り出した後は、形びスクリーンに注目だ。「風のようにうたが流れていた」で取り上げた洋楽曲がメドレーで流れる。この番組で小田が歌った「レット・イット・ビー」や「ホテル・カリフォルニア」は、オフコースの音楽にそれほど親しみがなかった大人(特に男性)へも、強く訴え掛けたものだった。小田は自分と外国との関わりを話し始めた。オフコース時代に、ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーチンと会った際に、彼がくれた助言のこととか、レコーディングで何度もロスを訪れるようになってからは、そこで出逢った多くの友人が居ることなどを。最初は本気だった「向こうでやってみたい」という夢が、いつしか消えていった話もしたし、でも、今の心境はまた変化しつつあるという…。「もう一度、自分の曲に英語の詞をつけて歌ってみよう、そして、向こうの小さなライブハウスみたいなところでやれないだろうか」小田が8月下旬から9月上旬にかけてロスを訪れ、現地の作詞家と作業に入ったという情報は、ホームページでも伝えられていた。でも「ライブハウスでやれないだろうか」という具体的なことが語られたのは初めてではないだろうか。そして、早くもそのときの成果がお披露目される。英詞部分は長年の友人のランディ・グッドラムが手掛けた、「my home town」である。この日演奏されたのは、一番が日本部で二番が英語のヴァージョンだったが、全編英語のヴァージョンも、きっとあるのではないかと思う。でも、小田はアメリカで歌う楽曲の候補として、なぜこの作品を選んだのだろうか。“根岸線”というローカルな言葉を、アメリカ人にどう伝えようというのか…。いや、この数で小田が伝えたかったことを聞き誤ってはいけない。場所は何処であっても誰の胸にも"home t own”はあるという、そんな郷愁を喚起させる力があるからこそ、この歌は味わい深いのだ。そしてまさに今年のテーマである「メッセージ」にピッタリの(というか、ドンピシャ過ぎるくらいの)「伝えたいことがあるんだ」を歌う。
 小田は今回の収録のなかで、事前にボツになった曲も披露した。それは竹内まりやの「元気を出して」。なぜボツになったのか分からない。一生懸命練習した曲が直前でボツになる理由も知りたいが、いい感じの出来ばえだった。そしてこの歌こそ、まさしく「メッセージ」に富んだ内容だと再確認した。特に"人生はあなたが思うほど悪くない”というエンディング近くの歌詞などは。歌い終わった小田は「これでスッキリしました」と一言。これ、ギリギリで大逆転が起こってオン・エアされたりすることはないんだろうか…。
 そして、まだまだ続く。本当のクライマックスは、実はこの後だった。KAT-TUNへ提供したことで話題となった「僕らの街で」が、作者である小田の歌で聴けたからだ。これも目茶滅茶よかった。KAT-TUNの歌もいいけど、小田が歌っても何の違和感もない。小田はこの依頼が来たとき、最初は時間的な理由から断ろうと思ったのだそうだ。でも、「こんなふうにして若い人たちに直接メッセージを届けられる機会も、もうそんなにないだろう」と考え、引き受けたという。この発言で注目したのは、小田が楽曲提供を「直接メッセージを届けられる機会」と捉えている点だ。いよいよ最後の曲。これがなんと嬉しいことに新曲だった。「東京の空」というタイトルで、歌う前に小田は「みんなへのメッセージの積もりで書いた」と言った。“いちばん大切なのはその笑顔”というフレーズが、とても心に刻み込まれる歌である。「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編が、来秋公開予定だそうだけど、この歌は、ああいう内容の映画のエンディング・テーマにもぴったりじゃないかと思った。通常のライヴなら、ここで「お疲れさま」、だけど、そうはいかないのが番組収録である。演出上の都合でやり直しが出るものなのだ。客席に詰めかけたファンにとって媒しいハブニングとなったのは、小田が「ここから20分、ツナゲってことで」と、「yes-no」や「ラブ・ストーリーは突然に」を演奏し始めた時だった。でも、なぜ20分間もツナぐ必要があったのか。それは、「全力少年」を取り直す必要が生じたからであり、しかし出番を終えたスキマの二人は、すでに会場を後にしてしまったからである。彼らを呼び戻すのに20分は必要で、でも客席を飽きさせては行けないと思った小田とバンドは、彼らのライヴの盛り上がりどころの楽曲で楽しませてくれたのだ。しかし、残りの5分は休憩に。「さすがに"全力少年”にも(エネルギー)を取っておかないと」。つまりここで全力を出し切るわけにはいかなかったという、ライブ演奏における余力にまつわる話なのでした。
 ヤンヤの拍手で再入場の二人。さっきと同じようにセンター・ステージの椅子に腰掛ける。「デジャヴュのような…」。「さっき会いましたよね…」。二人がイキなことを言って笑わせる。そして遂に、まさに全力を出し切った「全力少年」なのだった。お客さんの熱狂と演奏のノリの良さはさっきと比べ物にならないくらい違ってた。そして「君住む街へ」を背中で聴きながら、さっきとは逆に、「スタジアム・ブリッジ」を渡ったのだった。

 要らぬお節介は承知で、この番組はどうなっていくんだろうと考えた。思えば3年目までは続き物のストーリーだった。小田がアーティストに送った書簡が重要な意味を持ち、3度目の正直で、スタジオに来て欲しいと願った何人かがやってきた。さらに「風のようにうたが流れていた」が始まってからは、アーティストというより「楽曲」そのものが主役になっていった印象もある。今年の「メッセージ」のように、来年もテーマを決めてやるのだろうか。でも、「メッセージ」というテーマが選曲するうえでのシバリとはなったのかというと、そうではなかった。
 「伝わる歌」は、すなわち総てが「メッセージを持っている」というのが、ひとつの結論でもあったのだろうし…。来年、本当にアメリカでライブをやるなら、そのイベントからクリ約へとつながる何かが発見されるかもしれない。アーティスト同士で新たにクリスマスの歌を作るというのは、また別の組み合わせで見てみたい。今度は例えば、小田と女性アーティストのコンビで…。
 でも、「一(はじめ)」のCM曲といい「僕らの街で」といい、この「東京の空」といい、ここのところ作曲活動も活発である。それをもとに2007年、その活動にどう新たな節目を設けようとするのかに関しては、尚早な噂話などせず、静かに待ちたいと思う。
小貫信昭

僕らなら

空からこぼれてくる とても小さくて消えそうなモノ
静かに積み重なって 想いを描いていく
一粒一粒 溶けないで
uh 今日は言えるかな
uh このまま帰らないで 二人で

初めて出逢った時には もう産まれていた輝く結晶
あれから大きく育って 今夜僕らに降る
一粒一粒 溶けないで
uh 今日は言えるかな
uh このままかじかむ心 君の笑顔で温まっていく
小さな右手 ただ引き寄せて足を止めた

uh 今日は伝えるよ
uh このまま帰らないで 二人で
uh 君に 伝えるよ
uh このまま帰らないで 二人だけで

この想い…溶けないで、届け




★コメントタイプ:対談形式

★アーティスト:artist-0157

“いきものがかり”


水野良樹:
小田さんに初めてお会いした時は、怖かったですね~(笑)。なんかスーッと来られて「小田です」とおしゃって、「ワァ~」と思って…俺が一番緊張していたと思うんですけど、その緊張している俺に気付いてる山下を見てちょっと悔しかったです(笑)。

吉岡聖恵:
私はなるべく平然を装って、いつも通り「よろしくお願いしま~す」って言ったんですけど、内心はドキドキで…。しかも挨拶をした後すぐに練習に入っていったので、いきなり怒られたらどうしようとか、一体これから何が始まるんだろう…とかそんなことばかり考えていました(笑)。

山下穂尊:
僕は最初に「小田です」と言われた時も「知ってます!」みたいな感じで(笑)小田さんに気を遣っていただき、コーラスとか、こういうのを入れてもいいかなと訊いてくださるんですけど、「もうどんどんいいっす!全然いいっす!」みたいな(笑)。

水野:
「2番のAメロのところはアコギを抜いた方がいいんじゃないですか」というのを3人の意見として勇気出して言ったことがあったんです。そうしたら小田さんがキッ!とこちらの方を向いて、「お前はどう思う?」と言うので「はい、抜いた方がいいと思います」と言ったら「じゃあそうしよう」というやりとりもあったりして、いやあ一瞬スタジオの空気がピリっとしたんですよ~(笑)。と同時に、あの時は小田さんに「お前」と言われたことがすごく感しくてですね(笑)「ワァ~今俺、小田さんにお前って呼ばれてる~」みたいな(笑)実はそっちの方が好しかったんです。

吉岡:
もう帰りの車の中でもみんなで「お前って呼ばれた!お前って呼ばれた!」と大騒ぎだったもんね(笑)。

山下:
あとスタッフジャンパーをいただいたんです!そこに自分たちの名前も刺繍してくれてあって、嬉しくてはしゃいでいました。

吉岡:
ほんとにクリスマスプレゼントみたいな感じで、包みを開けてはしゃぐ子供たちのようでした。みんな試着して鏡に映したりなんかして(笑)。

水野:
もうゲストの人たちが出てくるたびに「わぁ~松さんだ~」「うお~スキマスイッチさんだ~、アフロだ~」と思って見てました(笑)。

吉岡:
本番は、ステージの真ん中後方から3人で出て行くんですけど、小田さんがステージ中央で私たちを待っていてくれて、パーッと会場全体が視界に広がった時、もうそこにはすでに小田ワールドでしたね~。もう空気が小田ワールドなんですよ。

水野:
本当に憧れの番組だったもんで…「風のようにうたが流れていた」という番組のDVD-BOXも買ってて…小田さんには言えなかったですけど(笑)、それくらい好きだったですから…。でもこの瞬間をちゃんと味わおうという風に思って、ステージに立って目の前のお客さんの姿を見て、すっごくハッピーな気分になりました。

山下:
オンエア後も、ほうぼうからかなりの反響がありました。4年間全然連絡していなかった友達がいて、彼はスキマスイッチさんのファンでスキマさんを見るために「クリスマスの約束」を見ていたら「いきものがかり」が登場して、自己紹介があって僕が映って「山下穂尊です」と…その時に思わず2度見したらしいんです(笑)。「クリスマスの約束」に出ていなかったら未だにそいつとは繋がってないですね。

吉岡:
うちのお父さんとお母さんは付き合いたての頃、デートでオフコースの学園祭を見に行ったことがあるそうなんです。お母さんは音楽とかはあまり聴かないんですけど、オフコースのCDは結構持っていて、お父さんは小田さんのことがすごく好きで。今回会場に両親が来てくれていて、私はお父さんが泣いたところ見たことがないんですけど、小田さんの歌を聴いてお父さんが号泣していたらしいというのを聞いたんですよ(笑)。それも私たちのところではないところで(笑)。お父さんのそんな姿って全然見たことがないんですけど、何か仕事で悩んでいることがあったらしく、小田さんの歌聴いて本当に癒されたと泣いていたらしいんです。お母さんもそんなお父さんにビックリしちゃって…お父さんまでそんな風になっちゃうんだなあって。

山下:
あの~今はオンエア後の反響の話だよ(爆笑)。

吉岡:
あっ、そうか(笑)…でもすごくいいプレゼントもらったって言ってました。生んで良かったくらいの(笑)。

水野:
小田さんにお会いするまでは怖くてほんとに厳しい人なのかな…・・って思ってたんですけど、リハーサルとかやっていく中で、すごく優しい方なんだなと、それこそお父さんみたいな(笑)感じはありましたね…。確かスキマさんも同じようなこと言ってましたよ…。

吉岡:
スキマさんはおじいちゃんって言ってましたよ(笑)。




★コメントタイプ:ひとり語り

★アーティスト:artist-0186

斉藤哲夫


 出会いは1974年か75年くらいだったと思います。四国でオフコースがコンサートをやった時に前座で出させてもらったのが初めての出会いでしたね。当時はヤスさんと2人組でした。その後オフコースがライブアルバムを出して、僕の「悩み多き者よ」とか陽水の曲とかをメドレーで歌っているアルバムなんですけど(「秋ゆく街で オフコース・ライブ・イン・コンサート」)、そのアルバムをもらってすごく感激したのを覚えています。その後「オフコースの小さな部屋」で「グッドタイムミュージック」やってもらったりして…。小田さんの中にこの2曲がずっと残っててくれたのかなと思うと感しかったですね。
 「クリスマスの約束」の出演オファーは、実は一昨年もあったんですよ。その時は四国のイベンター、デュークの宮垣さんから「小田さんがお前とやりたがってるよ」という電話をもらって…。それを聞いた時、マネージャーにも大変なことになったぞ!と話してたんですけどね。そうこうして今回、正式にオファーをもらって…もうヤッター!って感じでしたね。ありがたいことだなと思いました。

 「悩み多き者よ」に関しては、僕のアレンジは8分の6拍子なんですが、小田さんのアレンジは3拍子なんですよ。しかも1番が終わった時に素(無音)にしたりして…先日小田さんがソロになってからのCDを借りに行って聴いたんですけど、やっぱり小田さんはいろんなことやってるんですよね。アレンジも拘ってて、あ~これなんだなと思ったけど、今回はやっぱりあそこは何か鳴っててほしいって小田さんに言ったんだけど「大丈夫!大丈夫!」って言われちゃって(笑)小田さんとしてはメリハリをつけたかったんだろうけど。バァーと全体で入って、フッといなくなるみたいな。確かにそれはそれでやっぱり格好いいもんね。で、最後は小田さんの「大丈夫!大丈夫!」に任せるしかないかと。
 本番は、何だか小田さんに申し訳ないくらいにヨイショされちゃって…ほんとに「ありがとうございます!」って感じでしたね(笑)。回りの反応も“懐かしくて、泣いちゃった”という人や、ずっと疎遠だった人からも連絡もらったりして…小田さんが一緒に歌ってくれたり、完璧なコーラスをつけてくれたりして本当に良い評価をもらいました。今回一緒にやらせてもらって改めて小田さんの歌の上手さというのを感じましたね。もちろん若い頃も美声であったけれど、年齢を重ねてきて60歳を迎えようとする今、また深い味わいがあるというか…小田さんの歌を聴いていると静かな湖面が思い浮かぶんだよね。

東京の空

自分の生き方で 自分を生きて
多くの間違いを 繰り返してきた
時の流れに乗って 走った事も
振り返れば すべてが 同じに見える
あの頃みたいに君に やさしくできているかな 今も
一番大切なのはその笑顔 あの頃と同じ

東京の空は 今日も 高く澄んでいる
君の住んでいる街は 冬の色ですか
頑張っても 頑張っても うまくいかない
でも気付かないところで 誰かがきっと見てる
あの頃みたいに君に やさしくできているかな 今も
一番大切なのはその笑顔 あの頃と同じ

あの頃みたいに君に やさしくできているかな 今も
一番大切なのはその笑顔 あの頃と同じ あの頃と同じ

KAZUMASA ODA TOUR 2008"今日も どこかで"