★見出し10/11~ TBS「クリスマスの約束2003」リハーサル開始。
──この3年間、他のアーティストが作ったたくさんの楽曲に触れ、感じた事を聞かせて下さい。
小田和正:
まず、一緒に音楽番組を作ろうと声をかけられて…自分がいい曲だなと思う作品を紹介するような番組…みんなに「こんなにいい曲があるんだ」と伝えるのと同時に、ひとの曲を心から称えるという、そこに大きな意味を見いだそうという企画を立てたから、アーティストを選ぶと言うよりは、楽曲中心に選ぶことから始めたんだよね。…ただ、前々から自分がいいと思ってた楽曲は、たぶん偏りもあるだろうし、古いものに寄ってしまう可能性もあったんで、スタッフといろいろ相談して新しい曲からも…ちょっと毛嫌いというか食わず嫌いだった曲も集めて聴いてみました。
まぁ当初は…自分がそこから何かを学んでいこうなんて気もなかったんだけどひとの曲を本気で自分の中に取りこんで歌うっていうようなこともそれまでしてこなかったんでね。そこを通り過ぎてみたら、自分が予想もしていなかった楽曲が自分に影響を与え始めましたね。それは真剣に取り組めば取り組むほど、あ、この曲はこう表現していかなければいけない、ここはぜひともみんなに伝えなきゃいけない、というようなことを。それは自分なりに演出していかなきゃと取り組んでいるうちに、その楽曲の持っている存在の仕方みたいなもの、作家が目指したもの、それが自分にどんどん伝わってきたんだよね。ああほんとにみんな骨身を削って作ってんだなってことが…自分にいっぱい影響を与えてくれましたね。
テレビでも言ったけれど、とっても具体的なこととして言えば、「キラキラ」って楽曲にいろんなアーティストのエッセンスが避けようもなく入ってきたし。特に自分で構築していくような音楽の表現の仕方にも大きな影響を与えてくれたし…。女性の言葉で書いている曲だってこれまでほとんど歌ってこなかったけれど、そんなアーティストの歌も取り上げて、自分自身新鮮だったし、ほんとに予期せぬ影響をたくさん与えてもらいましたね。
──ゲストアーティストを迎えるのに、結果、3年間かかってしまいました。この時間経過と今回出演してくれたゲストについての感想を聞かせて下さい。
小田:
3年かかったというのは……振り返ってみれば当たり前だし、3年もかかっちゃったなあっていうような気持ちは全然ないよね。逆に言えば、初年度にもし7組のアーティストが来ちゃったら、たぶんまとまりのつかない、なんかはしゃぐしかなかったというような構成、結果になってたんじゃないかなあ。今考えれば冷や汗もんだったな…と思うよね。まあ、もっとも彼らも「どんなもんか取りあえず遠くから1回見させて下さい」みたいな、そんな気持ちだったのかもしれないしね(笑)。この歳にして…もちろん間違った事をやろうとしてたとは思わないけれど、先の見えないこと、予測の付かないことがまだあるんだなぁ、っていう気持ちにもさせられたね。だからさっきも言ったけど3年かかってしまったという思いは全然なくて、テレビで「ようやくゲストが!」なんて言ってましたけど…音楽に対して正面からぶつかっていくという形については、ゲストと一緒にやろうがおんなじことだったんで、いよいよ垣根を越えていくみたいな、そういう感慨はなかったね。音楽を取り組む形としては、その入り口が違うだけで、目指していくところは一緒だったし。目指していく音も…もちろん相手のいいところを認めながらだけど、どこか自分寄りにしようとするし…。だからゲストの選び方とか、その課程において、もしかしたらあまりに目指していく音楽にいけなかったら、その人たちは来ていなかったかもしれないからね。
みんなが気付いているかわからないけれど、今回来てくれた4組のゲストが、たまたま20代、30代、40代、50代、と然に上手いこと別れたりして…自分の中では、ああこういうふうになることになっていたんだなって…もちろんいろんなアーティストが候補に挙がったりしてたから、感慨深いと思うと同時に、みんなが素敵なアーティストだったし、みんなも喜んでくれてね…とってもいい人たちに来てもらえたなって嬉しく思えましたね。
──小田さん自身、滅多に出演してこなかったテレビ媒体に3年間続けて取り組まれました。その媒体の影響力や外部スタッフとの仕事で感じたことを聞かせて下さい。
小田:
う~ん……以前「キャディ」をやった時…そのなんて言うんですかねえ、テレビっていうメディアの影響力って言うか…あの時、俺の周りでは凄く大きな反響があったんだよね。も~あちこちで知らない人たちから声をかけられたりすることが頻繫にあったからね。テレビってのはスゲェなって、あんときが一番感じたからね。で、まぁ自分が音楽をやるのは当たり前だから、果たしてどうなんだろうって思いはあったけど…この「クリスマスの約束」っていうのは、やっぱりすごく反響がありましたね~。
業界の人たちからの反響っていうのがやたら大きくて、それが自分の励みにもなったし、それは嬉しかった事のひとつでしたね。でも、それを目指してやってたわけじゃないし…結果そうなって、自分の信じてた事を観て貰えただけでも嬉しいことだったし…
外部のスタッフとの仕事については…久々に…それまではなんていうか「異物」みたいな感じだったからね(笑)。だからやりたいことはだいたい自分でやってきたし……。やっぱりコンセンサスが必要っていう状況は……彼らともかなりぶつかったりもしたし…それで彼らと同化したとも思えないし。同化して両者が化合物のようになってというような、そういうパターンもあるんだろうけど…。混じり合わずにそこから生まれた力が3回ともどこかにあっただろうから、それで良かったんじゃないかと思いますね。一緒に戦ったスタッフって言うと変だけど、良い意味で自分を触発してくれたっていう、ね。もちろんむこうも「ウルセージジィだ」と思って触発されたと思いますけど(笑)。
テレビの媒体に出ると言うことに関して言えば……「人間国宝」みたいに人の知らないところで地味に頑張るというのもとっても素敵な事だと思うけれど、やっぱり露出して観てもらうということも大事なことだとは思いましたね。
オフコースの時は露出しないことを大事にしてた時期もあったし、それがエネルギーになることもあるけれど、そこで失ったこともあるし…。もちろん今だって露出しまくっているわけではないしね。…まあどんなことも、自分で最後に振り返ってみる時に、結論として…結論も出ないのかも知れないけれど、やっぱりテレビに出て良かったとか、テレビなんか出なくても良かったんじゃないかとか.……そんなタラレバもないんで、やったことがすべて「結果」であると。まあ今のところやっぱりみんなに観てもらいたいという気持ちが強いから、出来るだけそれが伝えられるような形でしばらくは活動していこうかなという感じですかね。
──一度挫折してしまった「日本グラミー賞」構想…。あれから20年、あらためて思うことがあれば聞かせて下さい。また、この番組に限らず「アーティスト同士が互いに認め合えるような場づくり」を今後も継続して作っていくつもりはありますか?
小田:
阿部龍二郎(TBSプロデューサー)は「3部作」と呼んでたし…もうこれで終わりでも充分だし。やっぱりひとと交わる…人のために何かをやることによって、いろんなものが生まれてくる、っていうようなことをここ数年やってきたんだけど…またここにきて、企画ありきで曲を作ってきて……じゃあタイアップじゃなかったらそれはいったいどんな曲になっていったんだろうって……ほんとの自分が作りたい曲というのは……「どうなんだお前!」みたいな気持ちになってきて……どっちが正しいんだろうというようなね、まあ答えはないにきまっているんだけど…ただ企画に左右されて、その音楽も変わってきていることは事実だし、その辺をもう1回自分自身の「オリジナル」のために立ち返って……「個人主義」の時に言ってきたような、そんなようなことを考えてみたいと。やっぱり「残り時間」というようなことをどうしても考えるんで、自分の気持ちがそこへさらに向かい始めているかなと…。
そんなわけで「グラミー賞」みたいなことをやれば、またとっても時間やエネルギーを取られるし、もちろんそういう場はぜひとも続けたいという気持ちもあるんだけれど、あっという間に時間は過ぎていくし……その折り合いがつけばやっていくべきことなんだと思うけれどね。…でも同じ事の繰り返しになるのはやだなぁっていう…まあそういう観点で今後は日々心は揺れ動いていくと思いますが、選んでいきたいと、ね。
で、20年前の挫折については……3年前も挫折したわけで、あの時の挫折は当たり前だったと思うし、あの時、思いっきり突っ走っててもなんらかの結果が残ったと思うし、まあ…複雑な思いですな……当時35~6でしょ?それは説得力に乏しかったと思うしね。でも、もしたとえば桜井君たちの年代のアーティストがそんなことを言い始めたら、たぶん協力するだろうし。まあさっきから言ってるように、今ある「結果こそがすべて」ということだね。
★コメントタイプ:ひとり語り
★アーティスト:artist-1076
【はじめに】
テレビの制作者として幸福を実感する瞬間とは、自分の携わる番組によって視聴者の人数を掴むことで、すなわちそれは「高視聴率」の獲得であったりします。それ以外の価値基準(『テレビって素晴らしいな』などと深く感動させたりする事)で喜びを味わうことはほとんど無く、仮にあったとしても、視聴率は散々な結果なので喜びと言うよりはむしろ「複雑な心境」だったりするものです。ただし、幸福なことに「クリスマスの約束」 のプロデューサーを務めた阿部龍二郎と私は、この奇跡的に素晴らしい番組と出会ったお陰で、この上ない達成感と充足感をたっぷりと経験出来たのです。第一回目の放送を終えて、新年まで残りわずかというある日、阿部は私にこう言いました。「番組制作者として、こんな番組に巡り会える事は10年に1度あるかないかだよ。ほとんどはこういう経験を出来ずに制作者人生を終えるんだ。俺達は幸せだよ。」…「クリスマスの約束」 は我々の想像を遙かに超えた番組として結実しました。そして、足かけ3年に渡った小田さんを始めとするファーイーストクラブの皆さんとの意義深い共同作業は、一生の宝物になるような「思い出」をたくさん残してくれました。
【2001年】
この年の4月、「うたばん」の出演を見事に断られた事を、我々が「根」にもってしまった事が「クリスマスの約束」の起源でした。もう少し詳しく申し上げるなら、「LOOKING BACK2」に収録されていた「さよなら」をどうしても自分達の番組で聴きたかったのです。 このような機会はきっと、最初で最後に違いない…「うたばん」を断られた直後に、小田和正音楽特番を提案したのはそんな理由からでした。今回の番組制作で最初に驚かされた事は、小田さん自身が全ての会に参加された事でした、通常は、マネージメントと我々が下準備をして方向性を決めてからご本人登場となる事が多く、阿部が「毎週小田さんが出席するのかな?」と、不安気に尋ねて来た程でした。さらに我々の不安を掻立てたのが、小田さんの第一印象で、初めての会議後、词りのタクシーで阿部はこんな風に漏らしていました。「大体難しそうな人って会ってみると実は気さくという事が多いけど、小田さんはそのままだったな。一度も笑顔を見せなかっだゾ。ごれは難しい事になりそうだ…」 今思えば、これまでにテレビ媒体をほとんど使わなかった小田さんが、我々を簡単に信用するハズはなかったのですが…そんな気難しいアーティストが「もう君たちとは出来ない!」といつ怒鳴りだしてしまうのでは?と毎回ヒヤヒヤものでした。にも拘らず、我々の代表である阿部は何度も会議をサボったりするので、本当に肝が冷える思いをさせていただきました。制作開始から2~3ヶ月の間、様々なアイデアが出ては消えて行きましたが、小田さんの唯一の思いは「アーティスト同士が互いに認め合えるような場を番組で作りたい」との事でした。そのキャスティング作業で、我々はいかにも小田和正らしい姿を目の当たりにします。小田さんは、自ら「手紙」という形として残る方法で出演依頼をし、しかもその事を番組で明かす、と…この生真面目さと潔さには、 感服すると同時に「誰も来なかったら、手紙を送った事実はOAしなくても良いだろう」 そんな考えが頭を過ぎったりしていました。数々の名曲カバーや大勢のアーティストが協力してくれた「この日のこと」更には「さよなら」を初めとする小田さんの楽曲…視聴率を取れるかはわからないが、今まで観たことのないような素敵な音楽番組になると確信を持っていました。にも拘らず「結局誰も招く事が出来なかった小田和正」そんな風に視聴者から思われるという大きすぎるリスク…「たかがテレビ」で何故そこまで大きなものを抱え込もうとするのか?恥ずかしながら、私がその理由に気付いたのは収録の十日ほど前、我々の提案した美術プランを小田さんが激しい口調で拒んだ時でした。 小田さんが、我々を前にして感情を露わにしたことに衝撃を覚えながらも、私は内心 「どうやったら説得出来るか?」という一点に神経を集中していました。この時期に及んでいる場合、通常は、このプランの実作業者であるディレクターやデザイナーを守ることが我々プロデューサーの務めなのだと私は考えていました。ところが、阿部は即座に小田さんを支持し、変更の要望を快諾してしまいました。「一体なぜ?」私は、そんな阿部を不思議に思いましたが帰社後にこう告げられました。「オマエ分かっているよな? 今度の番組で小田がどれだけのリスクを背負っているか…今俺達がやるべき事は小田が唄いやすい最高の環境を作る事だ。」阿部はギリギリの所で闘っている小田さんの胸中に気付いたとも言っていました。目から鱗が落ちました。私など到底及ぶことの出来ない次元で小田さんは勝負をしていたのです。その時の自分の陳腐なプライドを思い出すと今も気恥ずかしい気持ちにさせられるものです。余談ですが、手紙の7組が全滅に終わった時、阿部が他のゲストを招くことに拘った(番組中にそんな場面がありました)理由は、決してテレビ的な論理を優先しようとしたのではなく、一心に小田さんをテレビで晒し者にしたくなかったからではないでしょうか?…真の意味でこの番組が視聴者の心を捉えた理由は、1人の人間が全身全霊で『闘う』姿を赤裸々に見せたからだったと、私は理解しています。そして、この闘いは翌年も続くことになります…
【2002年】
1年目の、苦しいながらも先が見えない分腹も括り易かった…そんな風に感じさせる程、 2年目は最後の最後まで全員が悩まされる事になりました。そもそも「去年と同じ事をやってはダメだ」と言う事に捕われていた事が悩みの発端で、これが全員を質の悪い迷宮へと誘いました。ただし、一回目を観てくれた人々が期待するスタイルは裏切れないのでカバーはある程度やろうと言う事だけは早めに決まりました。しかし、全体のテーマが定まらない。夏頃から延々と繰り返される構成会議の中で、誰もが納得しないまま収録が近づいて来ました。挙げ句の果てに小田さんがカバー曲の練習を始めると、どうにもシックリ来ないという事で次々とボツになり振り出しに戻る…肝心の小田さんも深い迷宮に入り込んでしまったようでした。こんな時は我々の方から打開策を出すべきでしたが、こちらも手詰まりで選曲案以外は何も出ませんでした。そんな中、阿部から出た楽が、最終的に構成の幹となります。「今年は『自己ベスト』の年、そして『キラキラ』 もある。そうした楽曲と共に小田和正をストレートに見せましょう。」この明快だが誰も思い至らなかったクリーンヒットが、それまでの重い空気を吹き飛ばし会議の席も活気を取り戻しました。…しかしこの安堵もつかの間で終わってしまいました。一度は納得している様子の小田さんでしたが、今度は、カバー曲と「自己ベスト」をどのように共存させるか?に矛盾を感じ始めたのです。この時小田さんが「闘って」いた悩みは、どの構成が最良のものなのか分からない、と言う種類のもので、そもそも正解など無い世界でこの手の悩みが深まると、そう簡単には抜け出す事ができません。小田さんの悩みは特別深い物の様に感じられました。結局この状況は、本番直前まで演奏曲が決まらないまま収録に臨むという異常事態を招きました。その様子は、2年目の放送でも小田さんの険しい表情に現れていて、1年目とは異なるプレッシャーに激しくのたうち回りながら最良の音楽を演奏しようとする姿は「死闘」と呼べる程凄いものでした…。この年の視聴率は9.3%を記録、深夜番組では快学!と呼べる結果に繋がりました。再び、小田さんの「闘い」は聖なる夜を席巻し、「音楽」の持つ偉大な力は大勢の人々に支持されました。
【2003年】
「クリスマスの約束」は3部作…確か言い出したのは阿部でした。小田さんはその度に「知らねえよ阿部!勝手な事言うな!」と仰っていましたが、私は今年もやりたい!いや、今年こそゲストを招いて3作目を作るんだ!などと勝手な想像に頭を膨らませていました。しかし、そうは問屋が卸さなかったのです。ある出来事がきっかけで互いに連絡すら取り合わない状況が数ヶ月続くことになってしまったのです。番組の結果はご存知の通りで、番組を通してアーティスト同士の素晴らしい交流が実現しました。昨年の「クリスマスの約束」を襲った最も大きな出来事は、今からお話する仲違いだったと思っています。少なくとも私にとっては…それは、「おんがく」というタイトルの音楽特番を阿部と企画した時に起きたのです。番組宣伝用のスポットCMに「クリスマス約束」の映像を小田さんに相談せず放送してしまったのです。使った映像は涙を流している女性(観客)で、そのショットを使った理由は、「音楽の持つ力」を象徴的に映し出していたからでした。スポットが放送された翌朝、吉田さんからの電話が…「あの映像は自分たちも含めて一緒に生み出したもの、それを他の番組に使うのは納得できない。相手のアーティストに対しても失礼だと思う。」すぐさま阿部に電話で知らせました。…すると「服部、俺はいつかこういう日が来ると思ってた。小田さんのように気難しい人が、俺達とやって来れたのが奇跡のような事だったんだよ。残念だけど、これで終わりだな。お前も納得してくれ…」。良い子になるつもりはないけれど、謝るべきだと思いました。志半ばで、しかもこんな形で終わらせるべきではないと。でも、この2年間TBSチームのリーダーとして我々を率いたのは阿部でした。阿部が演出家として小田和正と「闘い」続けていたのです。私は異議を唱えませんでした。気持ちを押し殺し、吉田さんに我々の考えを伝えました。「またいつか何年先になるかわかりませんが、ぜひともご一緒に仕事させて下さい。」そんなような事を言って電話を切りました。…こんな風に突然物事が終わってしまう事ってあるんだよな、自分に言い聞かせながら1ヶ月程過ぎました。するとある日、過去2回の番組のライティングディレクターを務めた松本氏が日本照明家大賞でグランプリを受賞したとの知らせを受けました。しかも我々の番組での受賞だ。(Kira Kiraのライブツアーで照明を担当された佐々木好二さんも受賞!)この事で、授賞式に小田さんから祝い花を頂き、再び、阿部と小田さんについて話をするようになりました。私が、伺っていた小田さんの近況などを話すうち、阿部がポツリと私に聞きました。「俺、やっぱり謝った方が良いんじゃないか?」私は一時、この人は何を言い出すんだろう…と思いましたが「阿部さんが本当にそういうお気持ちになったのなら、謝りましょう。」AD時代から植え付けられていた恐怖心によって私は今まで阿部にこんな生意気を言った事はありませんでしたが、この時は何故かその事は咎められませんでした。3回目の「クリスマスの約束」はこうして作られる事になりました。阿部は、自分の謝意を伝えるために一冊のまっさらな日記帳を買い求め、1ページ目にこう記しました…「ごめんなさい」2ページ目以降は、きっと今も白紙のまま、小田さんの書斎に置かれているのではないでしょうか?その半年後に、小田さんが心から望んでいた「アーティスト同士が互いに認め合う」番組が具体的な形となり、この3年間の「闘い」は、ご覧になって頂いた多くの人々の胸に刻まれました。
【おわりに】
2001年12月、収録前日のリハーサルでTBSの美術や技術全スタッフの前に初めて小田さんが姿を現して唄った時にこんな事がありました。1曲目の「言葉にできない」に我々が聞き入っていると、吉田さんは「小田はたぶん今本気で唄っているよ。恐らく、 初めてのスタッフの前だから…」それは、気心の知れた身内ではない我々の、初めての本番を迎えるための重要な儀式だったのです。そんな事を昨年の収録後、小田さんの一言で心地よく思い出す事が出来ました。「今回ステージに上がった時、スタッフ全員が身内のように感じられたよ。とっても嬉しかったな…」初めての年、会議の中で頻りに 「思い出」という言葉を使っていた小田さんの言葉がとても印象的に残っています。「やって良かった」と放送後に全員で噛み締められるような仕事をしよう、と仰っていました… 「本当にその通りになりましたね!」
TBS 服部英司
Kazumasa Oda Tour 2005"大好きな君に"