東北大受験日、ホテルの屋上で。
建築学科を選んだのは、
一般社会との接点がある学問をやりたかったからなんだ。
建築には、理工系と文化系の中間みたいなところがあるし。
理工系のわりには言葉が饒舌、というかさ。
あと中学の時、美術の先生に鉛筆デッサンを
べた褒めされたのを覚えてて、
そんな資質も生かせるかなって思ってんだよ。
東北大学理工学部入学
俺が「横浜から来た」というと、「そうか、中央から来たのか」と言われてね。
東京や横浜のことを、仙台の人は“中央”って呼んでたんだよ。
でも当時の大学の“苦学生の美学”みたいな空気には、どうも馴染めなかったんだ。
ここでいったん、それまでのアイデンティティを無くした感じがしたよね。
でも友だちが出来たりするうちに、それも徐々に回復していったけど。
昭和40年頃の仙台駅。
俺はノンポリってわけじゃなく、
当時の言葉ならノンセクトラジカルというかさ。
まぁ結局、なにもせずストライキだけやってたんだけどね。
ある時、俺の好きだった主任教授の先生が、
学生たちに吊し上げられてさ。とっても可哀想に思ったんだ。
労働者のために、とかいいつつ、
大学で労働者と言えるのは先生たちなんだから。
なんのための闘争なのか、甚だ曖昧だったよ。
同級生・小林正一
4年になって一緒にアパート借りて、一番大変だったのは食事の支度。
毎日交代制にして、作らなかった方が皿洗いをすることにして。
まぁ最初からなんとか食べられたけど、批評なんかし合ってね。
小田のお袋さんが「高校まではパンにバターも塗らない子だったのに、
料理してるところなんて想像するだけで面白い」とかよく言ってたよ。
Kazumasa Oda Tour 2019 「ENCORE!! ENCORE!!」